期待のホープからビアンコネロのシンボルへ、宝石ディバラの冒険
(image@twitter)
「準備を怠るな。来季はおれたちと一緒に全てを勝ち取ってやろう。凄いことになるぞ」
ベルリンからイタリアへと帰路につくユベントスの選手たちを乗せた飛行機の中でクラブのバンディエラ(旗頭)であるクラウディオ・マルキージオからそう声をかけられたのが当時21歳だったパウロ・ディバラだ。
2014-15シーズン、12年ぶりにチャンピオンズリーグ(以下CL)決勝の舞台に辿り着いたユベントスはスペインの雄バルセロナ相手に善戦したものの、最後には力の差を見せつけられビッグイアーを目の前で逃してしまう。
決勝の2日前にユベントスへの加入が発表されたディバラはこの舞台に招待され、VIPルームでビアンコネリの奮闘する姿を見届けた。
La joya(宝石)と称されるディバラは当時所属していたパレルモでリーグ戦34試合に出場し13ゴール10アシストを記録。当時は「アグエロ2世」とも呼ばれ、狭いスペースでもボールを失わない卓越したテクニックと強烈な左足を武器にセリエAを席巻。その活躍がイタリア王者の目にもとまり、移籍金4000万ユーロ(約51億円)でユベントスの一員となった。
(image@twitter)
「パウロは偉大な選手になるだろう。移籍金9000万ユーロから1億ユーロ(約130億円)のメッシにも匹敵する選手にね」
そう太鼓判を押すのはパレルモの名物会長マウリツィオ・ザンパリーニ氏だ。ユベントスのマッシミリアーノ・アッレグリ監督が新加入選手を時間をかけてチームに馴染ませていく手法をとっている影響もあり、シーズン序盤彼が起用されないと「私はアッレグリに怒っている。彼が最高級のクラスの選手を台無しにしているからだ」と非難していた。このコメントもディバラへの期待の現れだったのだろう。
実際、全世界のフットボーラーのデータや年俸など多くの情報を閲覧できる『transfermarkt』というサイトで現在のディバラの市場価値を見てみると、その額は1億1000万ユーロ(約140億円)となっておりザンパリーニ会長の見立ては正しかったことがわかる。
彼がビアンコネリの一員となったこの年、4連覇中で絶対王者だったはずのチームは苦難の時期を迎えていた。
(image@twitter)
2015-16シーズン開幕戦、先発メンバーのリストに彼の名前はなくチームは史上で初めて開幕戦で敗北を喫した。その後も不調は続き第10節のサッスオーロ戦までで3勝3分け4敗で12位という体たらく。ディバラ自身も途中交代、途中出場での起用が多く充分な出場時間を得られずにいた。
アルゼンチン出身であることや同じポジションであったことも含め前年まで10番を背負っていたカルロス・テベスとどうしても比べれてしまうこともあり、彼には前任者の幻影が常についてまわった。今思えば当時21歳だった若者が経験豊富なトッププレーヤーと比較され批判を浴びてしまうなんていうのは随分と酷な話である。
しかし、サッスオーロとの試合に敗れた後、チーム全体でミーティングを開き結束を固めると翌節のトリノデルビーからチームは復調。そこから快進撃を続け破竹の15連勝を記録。ディバラ自身もコンスタントに出場機会を与えられその実力を存分に発揮した。
順位表の中位を彷徨っていたチームは気がついてみればリーグの首位に立っていた。
(image@twitter)
翌季もチームは常に首位を走り続け、2位に落ちたのは第4節でインテルに敗れたときの一度のみと国内でもダントツの強さでセリエAを制覇してみせた。
このシーズンの最も大きな変化といえば、従来の[3-5-2]システムから攻撃的な選手5人(ゴンサロ・イグアイン、パウロ・ディバラ、マリオ・マンジュキッチ、ファン・クアドラード、ミラレム・ピアニッチ)を同時起用する[4-2-3-1]システムへと移行したことだろう。この新システムの中でトップ下という新たなポジションを与えられたディバラは崩しやフィニッシュの局面で異彩を放ち、チームの中心として攻撃を牽引した。
また、CLでは母国の大先輩リオネル・メッシを擁するバルセロナと対戦し2年前の決勝のリベンジに成功。今度はVIPルームではなく、チームの一員としてピッチに立ったディバラはこの試合で2ゴールを挙げ、勝利の立役者となった。
(image@twitter)
この大会でユベントスはファイナルまで勝ち進み、決勝こそレアルマドリーに敗れたものの、冒頭に記したマルキージオの言葉をたった2年で実現可能なところまで辿り着いたのだから大したものだ。
そして昨季、ディバラはある決断をした。
「ミシェル・プラティニ、ロベルト・バッジョ、そしてアレッサンドロ・デル・ピエロが背負った10番は、パウロ・ディバラのものになる」
そう公表したのはクラブの公式ツイッター。彼はかつてユベントスのレジェンドたちが着けてきた栄光の背番号を継承する決意を固めたのだ。
「僕にとって10番は特別だ。着るのは名誉なことだし、責任を伴う。この番号は僕の子供の頃からの夢だっただけでなく、毎試合勝利に導くためにさらに強い結びつきを感じることができるんだ」
(image@juventusfc)
エースナンバーを背負うことについて自身の想いを語ったディバラは2017-18シーズン開幕戦から驚異的なペースでゴールを量産。第6節までで2度のハットトリックを含む10ゴールを記録。ユベントスの宝石は真の輝きを放ちはじめた。
しかし、コンディションの低下や新たに導入された[4-3-3]システムとの兼ね合いもありシーズン途中にはベンチを温めることもあったが、クラブ副会長のパベル・ネドベド氏は「この年齢では浮き沈みがあるのは普通のことだ。ユベントスはいつでも彼をサポートする」と彼を擁護。そのおかげもあってかシーズン終盤に向けて徐々に復調。3月のトッテナム戦ではチームをベスト8に導く値千金のゴールを決めるなど自身の復活を周囲に知らしめた。
CLの準々決勝のレアルマドリー戦のときのように、ビッグマッチでは試合から消えてしまいがちなこともあるが24歳という年齢を考慮すれば伸び代はまだまだ充分にあるだろう。
1人でも試合の流れを変えてしまうメッシと比較されるにはまだ時期尚早ではあるが、彼が世界ナンバーワンの称号・バロンドールを手にする日はそう遠くないかもしれない。
残念ながら一部の報道では「ディバラはユベントスで偉業を達成した後にビッグクラブへとステップアップすることになる」とも伝えられている。
近年ユベントスではデル・ピエロ以降継続して10番を着用し、クラブの象徴的な存在となる選手が現れていない。一サポーターとしては彼がそのシンボルとして長くクラブに居続けてくれることをただ祈るばかりである。
(image@twitter)
ユベントスの“宝石”はまだまだ輝き始めたばかりだ。迎える新シーズン、彼はビアンコネロのユニフォームを身にまとい、再び我々サポーターに感動を与えてくれるはずだ。今までのように。そしてこれからも。いつものようにその端正な顔立ちを“マスク”で覆いながら。
ロシアW杯開幕。開催国ロシアが圧巻のゴールで初戦を勝利で飾る。
(image@FIFAWorldCup)
4年に1度のサッカーの祭典、W杯。開幕戦として注目が集まる開催国ロシア対サウジアラビアの一戦が現地時間14日に行われた。試合は5−0とロシアが大量得点を挙げサウジアラビアを下した。
試合は早々に動き出す。前半12分、ロシアがコーナーキックのチャンスを得る。ゴール前に放り込まれたボールは一度はペナルティエリアの外にクリアされるが、これを拾ったロシアのMFアレクサンドル・ゴロビンがクロス。これをMFユーリ・ガジンスキーが頭で合わせ今大会最初のゴールとなるオープニングゴールを記録した。
その後、ロシアはMFアラン・ジャゴエフが負傷しピッチを退くというアクシデントに見舞われたものの、代わって入ったMFデニス・チェリシェフが43分にエリア内でボールを受け、冷静に2人をかわしてゴール左隅に豪快に突き刺し追加点。ロシアが2点のリードを持って前半を折り返した。
迎えた後半71分、ゴロビンの正確なクロスを途中出場のFWアルテム・ジューバがヘディングで叩き込みダメ押しとなる3点目を記録。
また、試合終了間際のアディショナルタイム1分にはチェリシェフが左足アウトサイドで回転をかけた芸術的なゴールで追加点。更にその2分後にはペナルティエリア付近で獲得したフリーキックをゴロビンが直接決めて5–0とし、大量得点で開幕戦の勝利を祝った。
ロシア代表は19日、グループステージ第2戦、エジプトと対戦する。
得点者
12分:ユーリ・ガジンスキー(ロシア)
43分:デニス・チェリシェフ(ロシア)
71分:アルテム・ジューバ(ロシア)
90+1分:デニス・チェリシェフ(ロシア)
90+3分:アレクサンドル・ゴロビン(ロシア)
諦めしらずの功労者、リヒトシュタイナーの軌跡
決して華があるわけではない。周囲を魅了する華麗なボールタッチや違いを生み出す圧倒的なテクニックを持ち合わせているでもない。ただ、勝利のためにひた走る。泥臭くチームのために汗をかく。ユベントスらしい選手というのはまさにそんなイメージだろう。
そういう意味でステファン・リヒトシュタイナーという男は近年で最もユーベらしい選手だったといえる。
時にはレッドギリギリの危険なタックルをお見舞いしてカードをもらうこともあった。チームの動きが悪いときは怒りを露わにして怒鳴り散らすこともあった。
しかし、彼の中にはいつだってチームを第一に考える熱いスピリットがあった。
2011-12シーズン、名手アンドレア・ピルロや、後に世界でも屈指のミッドフィルダーへと成長するアルトゥーロ・ビダルらと共にユーベへとやってきたリヒトシュタイナー。
無尽蔵のスタミナでピッチを駆けまわり、積極的にゴール前にも顔を出すプレースタイルは当時チームを率いていた闘将アントニオ・コンテ監督のサッカーにもピタリとフィットした。
思えば新スタジアムであるユベントス・スタジアム(現アリアンツ・スタジアム)でユーベの選手として公式戦最初のゴールを挙げたのも彼だった。そして、このゴールからセリエA7連覇という偉業は始まったのだ。
しかし、これまでの道のりは決して平坦なものではなかった。
2015-16シーズン、セリエA第5節フロジノーネ戦に先発出場していたリヒトシュタイナーは試合中に呼吸困難に陥りハーフタイムでピッチを退くことになる。検査の結果、不整脈と診断された彼は今後のキャリアを考慮し心臓にメスを入れる決断をした。
1ヶ月後、チャンピオンズリーグ(以下CL)、ボルシアMG戦でピッチに帰ってきたリヒトシュタイナーはなんと復帰戦にしてフル出場。さらにはアウェーの地で0-1と劣勢に立たされていたチームを救う豪快なボレーを叩き込み、チームを敗戦の危機から救う活躍を見せた。
「私は間違いなく怖がっていた。もう2度とプレーできないんじゃないかとも思ったよ」
「幸せなことに私には愛情を注ぎ、支えてくれる家族や友人がいたんだ。それにユベンティーニ以外にもありとあらゆるクラブのサポーターたちが励ましの言葉を送ってくれた。これはサッカーの美しい側面だと思う」
試合後、命の危機に瀕していたときの恐怖を語りつつも、自身を支えてくれた家族、友人、そして世界中のサッカーファンに感謝を示した。
恐らくこの試合を見ていたユベンティーニの誰もが心揺さぶられたことだろう。そして気づかされことだろう。諦めないことの大切さを。
そう、彼はいつだって諦めない。
2016-17シーズン、バルセロナから同ポジションのダニエウ・アウヴェスを獲得したユーベは登録枠の都合上CLのメンバーリストからリヒトシュタイナーの名前を外している。
そのときも彼は自身のSNSで「私には全ての試合とトレーニングのことしか頭にない。それは今までもこれからも変わらない。そう、Fino alla fine(“最後まで”の意)だ」とコメントし、決勝トーナメントでは見事CLの登録メンバーに復帰してみせた。
そして、今シーズンもまた新加入のマッティア・デ・シリオやベネディクト・ヘヴェデスに押し出される形で2年連続のCLメンバー落ちとなってしまった。
しかし、それでも諦めずにまた這い上がるのがリヒトシュタイナーだ。
「今まで以上にこのユニフォームに敬意を持って、自分の全てを捧げるつもりだ」
自身のSNSにこう書き綴った彼は正に有言実行。プレーで自身の価値を証明し、決勝トーナメントからは再びCL登録メンバーに名を連ねることになる。
何度厳しい状況に置かれようとも、自分の力で道を切り開き、不死鳥のように蘇る彼はユーベのクラブモットーであるFino alla fineを正に体現する選手だった。
ユベンティーニの方々は覚えているだろうか?
今シーズンのCLラウンド16、トッテナム戦2nd leg。相手のプレッシングの速さになかなか適応できず、敗北も濃厚だったあの状況でメディ・ベナティアに代わってピッチに送り込まれたリヒトシュタイナーの姿を。
ベテランとして諦めムードが漂っていたチームにいつものように檄を飛ばし、気を引き締めさせると、投入から3分後には同点ゴールに直結するクロスを上げ最終的にチームをベスト8に導いたあのプレーは誰にでも真似できるものではない。どんなときでも諦めないリヒトシュタイナーだったからこそ成し得たことだったのだろう。
リヒトシュタイナーはプレー面だけでなく、メンタル面でもチームに大きく貢献してくれていたことは言うまでもない。意思の強さ、言葉を行動に移す力、そして何より諦めない心。ユーベの選手たちだけでなく、我々サポーター側も彼から学ぶことは少なくないのではないだろうか。
迎える新シーズン、彼はプレミアリーグの名門アーセナルへと活躍の場を移すことが決まっている。34歳とキャリアの晩年を迎えつつあるが、どんなときでも決して諦めないFino alla fineの心を持つ彼ならきっと新天地でも成功を収めることができるはずだ。
7年間、ユーベに全てを捧げてくれた功労者に感謝を込めて。
Forza Stephan!! Grazie mille!!
コラム: 偉大なるカピターノ ジジ・ブッフォンの門出
(image@twitter )
いつかはこんなときが来るとわかってはいたが、そんな現実からずっと目を背けていた。
5月17日、アリアンツ・スタジアムで開かれた会見でアニェッリ会長と共に登場したユベントスの偉大なるカピターノ、ジャンルイジ・ブッフォンの表情からは笑顔が見てとれた。しかし、その笑顔からは覚悟を決め“何か”を受け入れたかのような、そんなどこか寂しい雰囲気も同時に感じることができた。
「土曜日が私にとってユベントスでの最後の試合になるだろう」
今年で40歳を迎えたビアンコネリの守護神は17年間というキャリアのほとんどを過ごしたクラブへ、選手として別れを告げることを発表した。
11度のスクデット(カルチョーポリにより取り消された2回を含む)獲得に貢献したブッフォンは、良いときも悪いときもユベントスと共に在り続けた。
カルチョーポリによってセリエBへの降格を強いられた当時、多くの主力選手たちがチームを離れていってしまった。そんなチーム状況のなかで、クラブのレジェンドであるアレッサンドロ・デル・ピエロらと共に残留を明言し、多くのユベンティーニを安心させたエピソードは今でもファンの間で語り継がれている。
「私の家はここだ。愛してくれる家族と運命を共にしたい」
このようなパーソナリティを持ち合わせていることこそが、ブッフォンが今でも世界中のフットボールファンから愛されている所以なのだろう。
試合に勝利したときはチームメイトを抱きしめ喜びを分かち合う。敗れたときでも対戦相手へのリスペクトを忘れず、相手の健闘を讃える。イタリア代表として試合に臨むときは国歌を全力で歌い上げる。対戦国の国歌へブーイングが入れば、自身の拍手でそれをかき消してしまう。我々の愛したジャンルイジ・ブッフォンとはそういう男だった。
(image@twitter)
ビッグセーブをしたときも顔色一つ変えず、親指を前に突き出しチームメイトに安心感を与える姿はユベンティーニにとってはお馴染みの光景となっていることだろう。最後尾からチームを支え、数々の偉業を成し遂げてきた彼はまさに“生ける伝説”だ。
3度もCL決勝まで進みながらビッグイアーまであと一歩届かず、W杯優勝経験を持ちながらもキャリア最後のW杯には予選で敗れ出場できず。人目もはばからず泣いたことだって1度や2度ではない。勝利の美酒の味も知っているが、敗北の苦汁もたくさん味わってきた。だからこそ常に謙虚な姿勢を貫き、誰よりも勝利にこだわることができるのだろう。
(image@twitter)
主審の判定に激怒して退場となった今季のCL準々決勝2nd legレアル・マドリー戦はまさにそれを象徴していた。3点のビハインドを抱えながら乗り込んだサンティアゴ・ベルナベウでチーム一丸となって戦ったあの試合だ。
最後まで集中を切らすことなく2連覇中の王者相手をギリギリまで苦しめ、敗退寸前まで追い詰めた試合。終了間際のベナティアのファールによってマドリーにPKが与えられたあのとき、真っ先に主審のところへ抗議に行ったのもブッフォンだった。
あのシーンには色々批判の声も上がったが、ブッフォンだって人間だ。ビッグイアーへの最後の挑戦だった試合が微妙な判定によって終わりを迎えようとしていたのだ。怒るのも無理はない。むしろ、その泥臭く勝ちにこだわる人間臭さこそが彼の良いところでもあったのではないだろうか。
たしかに、試合後も主審を批判し続けたのは過ちではあった。しかし、そのたった一つの過ちをとって彼の積み上げてきた偉大なキャリア全てを否定するのは大きな間違いだ。ブッフォンがユベントスはもちろんのこと、現代のサッカー界に多くのものをもたらしたことは紛れもない事実なのだから。
17年間をユベントスで過ごしたブッフォンには確かに勝者のDNAが流れていた。彼の体現した"Fino alla fine"(イタリア語で最後までの意)のスピリットは同胞のキエッリーニやマルキージオへ。そしてやがてまた次の世代へと途絶えることなく受け継がれていく。
前人未到のリーグ7連覇、セリエA無失点記録の更新、クラブ史上最多出場記録の更新などなど、ここには書ききれない程の偉業を成し遂げたブッフォンはまさにユベントスの歴史そのものだ。
彼をきっかけにユベントスを好きになった人も少なくないだろう。筆者もその内の1人だ。このクラブを好きになる前から彼はユベントスのゴールマウスを守り続けていた。
時は流れ、そんな彼もクラブを去るときがやってきた。今は彼の退団を悲しむよりも、笑顔で送り出してあげることを考えよう。
そしてジャンルイジ・ブッフォンという男がフットボールの世界に蒔いた種が、今後どのように芽吹いていくのか。それを楽しみに待ちながら彼の新たな冒険を見守っていこう。
(image@juventusfc)
遠く離れた日本より、愛を込めて。
Grazie Gigi
進化をやめた西野JAPAN。目指すのは「パスを繋ぐサッカー」
image@twitter
JFA(日本サッカー協会)はヴァヒド・ハリルホジッチ監督の解任を日本時間9日に正式に発表。後任は元技術委員長の西野朗氏が務めることが決定した。
ハリルホジッチ氏は従来の日本サッカーにはなかった“縦に速い攻撃”を目指し、デュエル(1vs1)でボールを奪ってから前線に長いボールやくさびのパスを入れてカウンターを仕掛けていくスタイルを採用していた。
自身の採用する戦術に適合する選手を見つけるため、海外組・国内組問わず今までに多くの選手を招集。特にEAFF E-1サッカー選手権や親善試合では、新戦力発掘のため結果よりもW杯本番を見据えた采配を振るってきた。
しかし、JFAは大会2ヶ月前という異例の時期にハリルホジッチ氏を解任を発表。
会見では「残り2ヶ月でどういうサッカーを目指す?」という記者の質問に対しJFA会長の田嶋幸三氏は「ボールを繋ぐサッカー」と解答。「これは私の意見だから」と続けたものの、ハリルホジッチ氏が目指したスタイルとは違う路線で本大会に臨む意向を示した。
それならば、ハリルホジッチ氏が積み上げてきた3年間とはいったいなんだったのだろうか。もちろん同氏が本大会で結果を残すことができたかどうかは誰にもわからない。しかし、日本が取り入れた新たなスタイルが世界の強豪を相手にどこまで通用するかどうかを検証できる機会は失われてしまった。
例えロシアの地で西野JAPANが結果を残せたとしても、それは偶発的なものであって積み上げたものからは何も得ることのできない、何も残らない大会になるだろう。それならばハリルホジッチ流の従来とは異なるサッカーで惨敗した方が得られるものは大きかったはずだ。
会長の言うような「パスを繋ぐサッカー」を戦術の軸としてチームを構成するのであれば、そもそもハリルホジッチ氏を招聘したこと事態が間違っている。
前回のブラジル大会で「このままでは勝てない」という意識が芽生えたからこそ、今までとは違う方向に舵を切ったのではなかったのだろうか。
この国は一度変化を求めて歩き出したのにも関わらず、再び歩みを止めてしまった。日本サッカーの未来に暗雲が立ち込める。
見せつけた"Fino Alla Fine”の精神
image@twitter
運命という物はあまりにも残酷だ。
3点のビハインドを背負いながら挑んだUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝2ndleg レアル・マドリー戦。前半のマリオ・マンジュキッチの2ゴールや、後半のブレーズ・マテュイディのゴールで一度は同点に追い付き2連覇中の王者をあと一歩のところまで苦しめた。
しかし、勝利の女神が微笑んだのはレアルの方だった。
後半終了間際のアディショナルタイム、疑惑の判定によりマドリーにPKが与えられる。さらに、これに抗議した守護神ジャンルイジ・ブッフォンはレッドカードを提示され退場。
交代で入ったヴォイチェフ・シュチェスニーの鬼気迫るセーブも虚しく、クリスティアーノ・ロナウドの放ったシュートは無情にもゴール右隅に突き刺さりトータルスコアは4–3。ユベントスはベスト8でこの舞台から姿を消すこととなった。
敗北というのはどんなときでも悔しいものである。しかし、この日の悔しさはいつも以上に重かった。恐らくブッフォンにとってキャリア最後となるであろうCL。彼は試合終了を告げる笛をピッチの上で聞くことすら許されなかったのだ。そんな彼のことを思うと涙が止まらなかった。
image@twitter
しかし、悲しむことよりも他にやることがある。それは選手たちへの称賛だ。絶望的な状況に追い込まれても尚、わずかな可能性を信じて最後まで走りきり、クラブのモットーである“Fino alla fine”(最後まで)を体現してくれた選手たちへの。
ブッフォンの抗議に関して「みっともない」や「リスペクトに欠ける」などの声が挙がっているのをいくらか見かけた。「自身のビッグイアーを勝ち取りたいという欲がそうさせたのだ」と。
しかし筆者の意見としては、最後まで逆境をはねのけようと必死に戦うチームメートを「なんとしてでも勝たせてやりたい。一緒に勝ちたい」という想いがそこにはあったのではないかと思っている。
もちろんあの抗議の真意は本人にしかわからない。けれど、我々ユベンティーニがずっと見てきた“ジジ・ブッフォン”という男はそういう男だったはずだ。
たしかに今季のCLは終わってしまった。来季はブッフォンのいないチームで戦っていくことになるかもしれない。しかし、彼のメンタリティは確実にチームに受け継がれている。それはシュチェスニーが交代で出場したときのシーンを見ても明らかだろう。
image@twitter
ユーベにはまだ2冠の可能性が残されている。リーグ7連覇、コッパ・イタリア4連覇。下を向いている暇はないのだ。気持ちをまた切り替えて前に進んでいくしかない。勝ち取れるものは全て勝ち取る、それが“ユベントス”というクラブだ。
シーズンはまだ終わっていない。気を引き締めて“Fino alla fine”、最後まで戦い抜こう。
これが偉大なるカピターノと共に戦う最後のシーズンになるかもしれないのだから。
コラム: 生涯をビアンコネロに捧げた男
image@Twitter
“ワン・クラブ・マン”という言葉はもはや死語となっているのかもしれない。1つのクラブでキャリアを終えるということは現代のサッカー界ではそう簡単なことではない。
ローマのフランチェスコ・トッティやリヴァプールのスティーブン・ジェラードなど、時代を象徴してきた名選手たちは次々とピッチを離れていってしまった。彼らの共通点はクラブに忠誠を誓い、数多のオファーを断り自クラブに全てを捧げてきたということ。
イタリア、セリエAに所属するクラブ・ユベントスにもそんな選手がいる。ビアンコネロの背番号8を背負うクラウディオ・マルキージオだ。
7歳でユベントスの下部組織に入団したマルキージオは着々と経験を積み実力をつけていく。06-07シーズン中には、当時カルチョ・スキャンダルの影響でセリエBを戦うトップチームに遂に招集される。すると、徐々に頭角を現し始めポジションを掴み取りチームのセリエA昇格に貢献した。
翌年、武者修行のため1年間エンポリへレンタル移籍。多くの経験を積んでユベントスに帰還した青年は順調に成長を重ね、やがてチームの要となる。中盤から飛び出し、相手ゴールを脅かす姿は多くのユベンティーニを虜にしたことだろう。無論、筆者もその内の1人である。
中盤でレジスタとして活躍した名手アンドレア・ピルロがチームを去った後はポジションを1つ下げ、パス回しの起点となりその役割を引き継いだ。
順風満帆なキャリアを送っていたマルキージオだったが、そんな彼を突然悪夢が襲った。15-16シーズンのパレルモ戦、スタメンとして出場していた彼は前半途中に左膝の前十字靭帯を断裂してしまう。この怪我が原因でEURO2016も欠場することとなってしまった。
当時の悲しみは今でも忘れられず、酷く落ち込んだことをよく覚えている。「マルキージオのいないEUROなんて見るか!」などと負の言葉を叫びながらも、しっかりとアッズーリの試合を毎試合チェックし応援していたのが懐かしい。
半年近く経った16–17シーズン。ようやくピッチに帰ってきた彼は以前よりも風格が出てきた印象があり、「どれだけリハビリを頑張ったのだろう」と想像すると目頭が熱くなった。
しかし、その後もいくつかの負傷を繰り返してしまい、なかなかトップコンディションに戻ることは出来ず、またチームメイトのミラレム・ピャニッチがアンカーとしてフィットしてきたことも重なり出場機会は減ってきてしまう。
17-18シーズン開幕前、ユベントスは中盤の選手として期待の若手、ロドリゴ・ベンタンクールやパリ・サンジェルマンやフランス代表で主力として活躍していたブレーズ・マテュイディをチームに迎えることとなった。
これに伴い、ある噂が浮上した。
「マルキージオ、ユーベ退団か」
このニュースを初めて見たときは「どうせ飛ばし記事だろう」と相手にしようとしなかったが、時間の経過と共に報道はどんどん加熱していった。それと共に不安も増していく。冷静に考えて同じポジションにこれだけのタレントが集まっていれば、出場機会が減少するのは明らかである。
正直そんな現実と向き合いたくはなかったが、それでも常に情報を追うようにしてSNSなどを頼りにマルキージオに関する報道をチェックし続けた。
そんなときに目に飛び込んできたのがマルキージオ本人による投稿だった。
image@instagram
「言葉なんて必要ないだろ」
そんな一言と共にアップされていた写真にはクラブのエンブレムを叩く彼の姿が写っていた。
これにはさすがに涙抑えることができず一人で号泣したのをよく覚えている。恐らくこの出来事は筆者のみならず、世界中のユベンティーニの心を掴んだことだろう。ここまでクラブに尽くしてくれる選手は現代のサッカー界にはなかなかいない。
毎週マルキージオをはじめとする多くの選手たちから活気をもらっている。ならば恩返しと言えば恩着せがましいかもしれないが、それでも彼が辛いときは我々サポーターが支える番なんだと心から思った。
今年1月、ヴィノーボの練習場にはユベンティーニによってある横断幕が掲げられた。
image@twitter
「マルキージオに触るな。キミはおれたちと一緒にいてくれ」
再燃したマルキージオの移籍報道についてサポーターからの抗議文だ。25年間という長い年月をビアンコネロに捧げてくれている選手の退団をユベンティーニは誰一人として望んでいない。
勝手ながら筆者は彼が再び実力でポジションを掴み取り、ユベントスのバンディエラとして、ユベントスでキャリアを終えるだろうと思っている。根拠はないが、彼を信じることに「言葉は必要ない」はずだ。