コラム: 生涯をビアンコネロに捧げた男
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“ワン・クラブ・マン”という言葉はもはや死語となっているのかもしれない。1つのクラブでキャリアを終えるということは現代のサッカー界ではそう簡単なことではない。
ローマのフランチェスコ・トッティやリヴァプールのスティーブン・ジェラードなど、時代を象徴してきた名選手たちは次々とピッチを離れていってしまった。彼らの共通点はクラブに忠誠を誓い、数多のオファーを断り自クラブに全てを捧げてきたということ。
イタリア、セリエAに所属するクラブ・ユベントスにもそんな選手がいる。ビアンコネロの背番号8を背負うクラウディオ・マルキージオだ。
7歳でユベントスの下部組織に入団したマルキージオは着々と経験を積み実力をつけていく。06-07シーズン中には、当時カルチョ・スキャンダルの影響でセリエBを戦うトップチームに遂に招集される。すると、徐々に頭角を現し始めポジションを掴み取りチームのセリエA昇格に貢献した。
翌年、武者修行のため1年間エンポリへレンタル移籍。多くの経験を積んでユベントスに帰還した青年は順調に成長を重ね、やがてチームの要となる。中盤から飛び出し、相手ゴールを脅かす姿は多くのユベンティーニを虜にしたことだろう。無論、筆者もその内の1人である。
中盤でレジスタとして活躍した名手アンドレア・ピルロがチームを去った後はポジションを1つ下げ、パス回しの起点となりその役割を引き継いだ。
順風満帆なキャリアを送っていたマルキージオだったが、そんな彼を突然悪夢が襲った。15-16シーズンのパレルモ戦、スタメンとして出場していた彼は前半途中に左膝の前十字靭帯を断裂してしまう。この怪我が原因でEURO2016も欠場することとなってしまった。
当時の悲しみは今でも忘れられず、酷く落ち込んだことをよく覚えている。「マルキージオのいないEUROなんて見るか!」などと負の言葉を叫びながらも、しっかりとアッズーリの試合を毎試合チェックし応援していたのが懐かしい。
半年近く経った16–17シーズン。ようやくピッチに帰ってきた彼は以前よりも風格が出てきた印象があり、「どれだけリハビリを頑張ったのだろう」と想像すると目頭が熱くなった。
しかし、その後もいくつかの負傷を繰り返してしまい、なかなかトップコンディションに戻ることは出来ず、またチームメイトのミラレム・ピャニッチがアンカーとしてフィットしてきたことも重なり出場機会は減ってきてしまう。
17-18シーズン開幕前、ユベントスは中盤の選手として期待の若手、ロドリゴ・ベンタンクールやパリ・サンジェルマンやフランス代表で主力として活躍していたブレーズ・マテュイディをチームに迎えることとなった。
これに伴い、ある噂が浮上した。
「マルキージオ、ユーベ退団か」
このニュースを初めて見たときは「どうせ飛ばし記事だろう」と相手にしようとしなかったが、時間の経過と共に報道はどんどん加熱していった。それと共に不安も増していく。冷静に考えて同じポジションにこれだけのタレントが集まっていれば、出場機会が減少するのは明らかである。
正直そんな現実と向き合いたくはなかったが、それでも常に情報を追うようにしてSNSなどを頼りにマルキージオに関する報道をチェックし続けた。
そんなときに目に飛び込んできたのがマルキージオ本人による投稿だった。
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「言葉なんて必要ないだろ」
そんな一言と共にアップされていた写真にはクラブのエンブレムを叩く彼の姿が写っていた。
これにはさすがに涙抑えることができず一人で号泣したのをよく覚えている。恐らくこの出来事は筆者のみならず、世界中のユベンティーニの心を掴んだことだろう。ここまでクラブに尽くしてくれる選手は現代のサッカー界にはなかなかいない。
毎週マルキージオをはじめとする多くの選手たちから活気をもらっている。ならば恩返しと言えば恩着せがましいかもしれないが、それでも彼が辛いときは我々サポーターが支える番なんだと心から思った。
今年1月、ヴィノーボの練習場にはユベンティーニによってある横断幕が掲げられた。
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「マルキージオに触るな。キミはおれたちと一緒にいてくれ」
再燃したマルキージオの移籍報道についてサポーターからの抗議文だ。25年間という長い年月をビアンコネロに捧げてくれている選手の退団をユベンティーニは誰一人として望んでいない。
勝手ながら筆者は彼が再び実力でポジションを掴み取り、ユベントスのバンディエラとして、ユベントスでキャリアを終えるだろうと思っている。根拠はないが、彼を信じることに「言葉は必要ない」はずだ。