コラム : 悪童から真の男へ、厄介者扱いされ続けたスーパーマリオの生涯

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(image@juventusfc)

 

  かつて悪童と呼ばれたその男はもういない。驚異的な運動量と強靭なフィジカルを活かしたプレーでイタリア王ユベントスの攻撃を牽引するクロアチアの大砲は、誰よりもチームのために汗を掻き、クラブのモットーである“Fino alla fine”(“最後まで”の意)の精神を体現している。

 

  クロアチア東部の都市スラヴォンスキ・ブロドに生を受けたマンジュキッチは、幼少時代をドイツ・シュツットガルト近郊の町・ディツィンゲンで過ごした。フットボールとの出会いもこの頃で、10歳までこの町のクラブでプレーした後、母国クロアチアに戻り19歳でマルソニアというクラブでプロデビューを飾ることになる。

 

  翌年クロアチア1部・NKザグレブに移籍し2シーズンを過ごした後、国内の強豪ディナモ・ザグレブへとステップアップ。移籍初年度から29試合に出場し12ゴール11アシストを記録。また、シーズンを通してイエローカードを8枚も受けるなど文字通り大暴れしてみせた。

 

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  ディナモ・ザグレブ2年目となる2008-09シーズンにはリーグ戦28試合で16ゴール11アシストと圧巻のパフォーマンスを披露。その長身を生かした力強いプレーでストライカーとして覚醒しリーグ得点王にも輝き欧州の有力クラブも無視できない存在となっていった。

 

  順風満帆なキャリアを過ごしていたマンジュキッチだったが2009-10シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ予選・RBザルツブルク戦で受けたレッドカードや、0-2で敗れたUEFAヨーロッパリーグアンデルレヒト戦での低調なパフォーマンスがクラブの怒りを買い10万ユーロ(約1300万円)の罰金を課されるなど時々クラブと衝突起こすこともあった。

 

  翌年、ブンデスリーガヴォルフスブルクに移籍。シーズン途中から就任した“鬼軍曹”フェリックス・マガト監督の下、軍隊式のトレーニングを経験することになる。恐らく現在所属するユベントスでも豊富な運動量を誇っているのはこの頃の恩恵だろう。

 

  ヴォルフスブルク2年目には32試合で12ゴール10アシストをマーク。好成績を残すのだが、シーズンの初めにマガト監督の戦術を無視したとしてここでも1万ユーロ(約130万円)の罰金を課せられている。

 

  テクニックもありスタミナもあり選手としては素晴らしいのだが、なぜかいつも監督やクラブと衝突をしてしまう嫌いがあるのがたまに傷といったところだ。

 

  そんなマンジュキッチだったが2012-13シーズン、満を持してドイツ王バイエルン・ミュンヘンに加入。ユップ・ハインケス監督の下でレギュラーを掴みとり、3冠(ブンデスリーガDFBポカール、CL)を達成。迎える翌シーズンも稀代の戦術家ジョゼップ・グアルディオラ監督の下で2冠(ブンデスリーガDFBポカール)に貢献。一気にスターダムを駆け上がった。

 

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  しかし、喜びも束の間。平穏は突然にして崩れ去った。

 

  グアルディオラ監督との確執だ。

 

  同監督の思い描くプレービジョンに合わないという理由で徐々に出場機会が失われていくと、遂には優勝のかかったDFBポカール決勝・ボルシア・ドルトムント戦では招集外という扱いまで受けてしまう。

 

  「がっかりしたよ。彼は俺に敬意を持って接してくれなかったんだ。プロフェッショナルとして、誰かからネガティブなエネルギーを感じたら俺はその人を遠ざけるようにしている」

 

  「2年間バイエルンに全てを捧げてきた。俺はあのような待遇に値しなかったと思う。適応するために努力もしたけど、成功するためには両者の努力が必要だ。俺の未来はここには無いと気付いたよ」

 

  そう語ったマンジュキッチはシーズン終了後、ロベルト・レヴァンドフスキの加入に押し出される形でバイエルンを去っていった。

 

  ドイツの地を後にした彼が新天地に選んだのはリーガ2強時代に終止符を打ったスペインの雄アトレティコ・マドリーだった。本人がディエゴ・シメオネ監督の情熱的な指導方法に関心を持っていたこともありこの移籍が実現した。

 

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  しかし、ここでも監督との確執が噂され僅か1年でクラブを去ることに。かつて所属したディナモ・ザグレブ以降2年以内にはクラブを変えていることから“渡り鳥”と呼ばれるまでになってしまっていた。

 

  そんな時に出会ったのが現在所属するユベントス。今ではここが彼の新たな“家”となっている。

 

  「彼は我々の望んでいた素晴らしい選手だ。彼がここにいることが非常に嬉しい」

 

  そう話したのは同クラブを率いるマッシミリアーノ・アッレグリ監督。当時10番を背負っていたカルロス・テベスの退団もあり、この大型ストライカーの加入を喜んだ。

 

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  ビアンコネリの2トップの一角としてプレーするマンジュキッチはハードワークを厭わず、その力強いプレーはクラブのレジェンド、ダビド・トレゼゲを彷彿とさせ一気にサポーターの心を掴んだ。

 

  ユベントス2年目となる昨々季途中にはアッレグリ監督が[4-2-3-1]システムを導入。このシステムでマンジュキッチは主戦場であったセンターフォワードのポジションをゴンサロ・イグアインに譲り、まさかの左サイドのウイングポジションで起用されることになった。

 

  この斬新な采配が大当たり。敵SBとのマッチアップにことごとく勝利し、ロングボールの収めどころとして機能するだけでなく、サイドを縦横無尽に走りまわり守備にも奔走。時にはバックラインの高さまで下がり味方DF陣を助けている。

 

  このストライカーポジションからウイングへのコンバートに対して「ワイドの仕事を楽しんでいるよ。ワイドの位置からでも相手ゴールに迫ることは可能だし、ストライカーだって守備にも注意を払わなければいけない」とコメント。指揮官の要求を快く受け入れた。

 

  「アッレグリは俺にとって欧州でも最高の監督の1人。彼と一緒に仕事ができて幸せだ」

 

  かつて悪童と呼ばれ、所属するチームの数々で指揮官と衝突を繰り返してきた彼の姿はもうここにはない。

 

  ユベントスで3年間を過ごした彼のクラブへの忠誠心には目を見張るものがあり、誰よりもチームを思って走っている。

 

  2016-17シーズンのCLファイナル・レアルマドリー戦でマンジュキッチが鮮やかなオーバーヘッドで同点ゴールを決めたシーンを思い出してみてほしい。

 

  胸に輝くエンブレムを何度も叩き「俺たちはユベントスだ」と言わんばかりの雄叫びをあげたあのシーンを。あのシーンにこそ、マンジュキッチという男の全てが詰まっていたように思う。

 

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  そしていま、定住する地を選ばない渡り鳥が自分の“家”を見つけ4年目のシーズンを迎えようとしている。

 

  チームのためにひた走るこの功労者が、来季も我々と共に冒険を続けくれることを筆者は1人のサポーターとしてただただ願うばかりである。

  無論、彼の他クラブへの移籍は「No good」だ。