コラム: 偉大なるカンピオーネへの道、イタリアの至宝ベルナルデスキの挑戦

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  “絶えず変化を求める気持ちと不満こそが、進歩するために最初に必要となるものである”

 

  かの有名な発明家、トーマス・エジソンはこんな言葉を残した。成長するためには常に変化を求め続け、安定を求めず挑戦をすることが成功の鍵であると。

 

  2017年夏、フィオレンティーナの10番を背負う若者は慣れ親しんだフィレンツェの街に別れを告げ、イタリア北部の都市トリノへとやってきた。

 

  前所属のクラブではエースとして期待され将来を渇望されていたベルナルデスキだったが現状に満足せず、さらなる高みを目指すためイタリア王ユベントスへの移籍を決意。その端正な顔立ちからは想像のつかない卓越したドリブルスキルと鋭いカットインからの強烈なシュートでゴールネットを揺らす姿はかつて自身と同じフィレンツェの街からやってきたクラブのレジェンド、ロベルト・バッジョを彷彿とさせる。

 

  イタリア・トスカーナ州の人口約6万人の街カッラーラで生まれ育ったベルナルデスキは6歳の頃に地元のサッカークラブでキャリアをスタートさせると、在籍当初からクラブにその才能を見出され、2、3歳上のチームメイトに混じってボールを蹴っていた。元イタリア代表のヴィンチェンツォ・モンテッラのように、ゴール後に両手を広げて飛行機を模倣したようなパフォーマンスをすることから当時は“モンテッリーノ”(小さなモンテッラ)という愛称で呼ばれていた。

 

  2003年、ベルナルデスキは10歳の頃にセリエAのクラブ・フィオレンティーナと運命の出会いをし10年間をこのクラブのユースチームで過ごすことになる。すると、各年代のカテゴリでは常に中心選手として存在感を発揮し、エースナンバーである10番を背負い順風満帆なキャリアを送っていた。

 

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  いつしか彼の下には世界屈指のビッグクラブであるマンチェスター・ユナイテッドからもラブコールが届くほどにまで成長。しかし、「興味が持てなかった」とそのオファーを一蹴。自らを育ててくれたクラブに忠誠を誓い残留を決意した。

 

  その後、プリマヴェーラ(18~19歳のカテゴリ)ではキャプテンとしてチームを牽引。その活躍が認められ、2013-14シーズンにはいよいよトップチームに召集された。しかし、出場機会には恵まれず当時セリエBに所属していたクロトーネに共同保有のレンタルという形で武者修行の旅に出ることになる。

 

  「できるだけ早くフィレンツェに戻って、フィオレンティーナの一員としてセリエAで戦いたい」

移籍後、そう語った彼は同シーズン39試合に出場し12ゴール7アシストの活躍を見せると、公言通りフィオレンティーナに呼び戻されクラブは保有権を全て獲得することになった。そして、同年のキャンプで当時の指揮官であったモンテッラ監督へのアピールに成功。トップチームへの昇格を勝ち取った。

 

  若干20歳にしてセリエAUEFAヨーロッパリーグにもデビューするなどトントン拍子に事が運んでいたベルナルデスキだったが、人生とは良い時が続けば必ず悪い時もやってくるもの。同年11月に足首を骨折してしまいシーズンのほとんどを棒に振る大怪我を負ってしまう。

 

  それでも翌年、クラブはベルナルデスキとの契約延長を発表。さらにユース時代に着けていた背番号10を着けることも公表されると、リーグ開幕前に行われたインターナショナル・チャンピオンズカップではバルセロナ相手に2ゴールを記録。2-1でのフィオレンティーナの勝利に貢献し“バッジョの再来”とまで言われるほどに周囲を沸かせてみせた。

 

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  トップチーム3年目となる2016-17シーズンにはリーグ戦32試合に出場し自身初のリーグ戦2桁得点となる11ゴールを記録。バルセロナバイエルン・ミュンヘンなど欧州のメガクラブからも一目置かれる存在へと成長を遂げていった。

 

  そして当時23歳だったベルナルデスキは自身の今後のキャリアを考えクラブの契約延長の打診を断り、ある覚悟を決める。

 

  最愛のクラブを離れ、同国のライバルでもあるユベントスへと移籍する覚悟を。

 

  「12年もの間、僕を成長させ1人前の男にしてくれたフィオレンティーナに感謝したい。僕に関わってくれた全ての人達にもね。みんなに『ありがとう』を伝えたい。彼らのことは決して忘れないよ」

 

  「今、新たな旅へ臨むときが来た。なんて言ったらいいんだろう……これ以上のスタートはなかった。ユニフォームや名誉、僕に与えられたもののために、僕が出来る全てを捧げたい」

 

  ベルナルデスキは自らを育ててくれたクラブとの別れを惜しみながらも、フットボーラーとしてさらなる高みを目指すために新たな扉を開いた。

 

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(image@juventusfc)

 

  簡単な決断ではなかったはずだ。愛するクラブを離れ出場機会も保証されていないチームへと活躍の場を移すというのは。フィオレンティーナで“王様”としてチームの中心となってプレーする選択肢もあったはずだ。

 

  しかし、彼は安定など求めてはいなかった。そこにあったのは純粋に「サッカーが上手くなりたい」という向上心だけだった。

  ユベントスではかつてのバッジョとは違い10番の着用こそ見送られたが、移籍金の4000万ユーロ(約52億円)という金額を見ればその期待の表れは明らかだろう。

 

  ベルナルデスキが代わりに背負う33番はキリストの没年齢を示す数字であり、信心深い彼にとってはとても意味のある番号。しかし、彼は背番号の理由を説明をした後でこう付け加えている。

 

  「“ユベントスの10番”の重みは特別。だが、10番こそが自分の肌に合った番号だと思っている。今は33番を背負うがいずれは僕が10番に相応しい選手だと証明したい」

 

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  そう。彼はこの背番号の重みを理解しながらも、いずれはこの伝統ある栄光の番号を背負う覚悟ができているのだ。今でこそ同胞のパウロ・ディバラがこの番号を身につけてはいるが、次の10番の継承者は彼とみて間違いないかもしれない。そう思わせるだけの覚悟がその言葉から感じ取れた。

 

  加入初年度となる2017-18シーズン、ユベントスの指揮官マッシミリアーノ・アッレグリ監督は新加入選手を時間をかけてチームに馴染ませていく傾向があり、ベルナルデスキはシーズン当初からベンチスタートが続き途中出場での起用が多かった。しかし、普通の同年代の若者であれば不貞腐れてもおかしくない待遇であったにも関わらず、やはり彼は一味違った。

 

  「心配はしていないよ。今は見習い期間のようなものだからね。最初のステップはユーベで僕の存在価値を証明すること。これはディバラでも経験したことさ。僕は犠牲心やハングリー精神、クオリティーを持ち合わせているよ」

 

  憎らしいほどに純粋で落ち着いた言葉だった。

 

  昨シーズンは同ポジションにフアン・クアドラードドウグラス・コスタなどワールドクラスの選手がいるため、スーパーサブ的な立ち位置ではあったが出場した試合ではしっかり結果を残しており、途中出場での起用が多い中で22試合4ゴール6アシストという記録は大したものだ。

 

  迎える新シーズン、チームは新たにフットボール界のスーパースター、クリスティアーノ・ロナウドを前線に加え悲願である欧州制覇に向けて動き出す。ベルナルデスキにとってはよりポジション争いが熾烈になり勝負の年となるかもしれない。しかし、彼の持つ向上心があれば心配はいらないだろう。なにより彼は常にチャレンジャーなのだから。

 

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(image@juventusfc)

 

  今はまだ大きな可能性を秘めたダイヤの原石に過ぎないが、向こう数年間でさらなる飛躍を遂げビアンコネロの10番を背負う姿を筆者は想像せずにはいられない。

  ベルナルデスキの挑戦はまだまだ始まったばかりだ。