コラム:人生を変えた指揮官との出会い、フアン・クアドラードの覚醒

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  “ゆるキャラ”という言葉が流行ったのはもう何年か前の話か。「ゆるいマスコットキャラクター」を略した言葉で地域おこしのためなどに名産品などをPRするアレのことだ。

 

  イタリア・セリエAで前人未踏の7連覇を成し遂げた常勝軍団ユベントスにもゆるくてかわいらしい愛されキャラの選手がいる。ロシアW杯で日本の対戦国の中心選手として注目されていたことでもお馴染みのコロンビアの韋駄天フアン・クアドラードだ。

 

  ラテンの陽気なノリと無邪気な笑顔で場の雰囲気を和ませ、時に珍プレーなどを見せることもあるが、胸の内には熱いハートを持っておりハードワークを厭わない。持ち前のスピードと運動量で右サイドを駆け回り、時にはオプションとしてサイドバックまでこなす彼は指揮官のマッシミリアーノ・アッレグリ監督からも確かな信頼を寄せられている。

 

  そんなクアドラードだが、かつてはお世辞にも戦術理解度が高いとは言えず直感だけでプレーするタイプのチームのメカニズムに組み込みづらい選手だった。

 

  若手の発掘に定評のあるウディネーゼにその才能を見出され、レッチェへの武者修行の旅を挟み、イタリアの古豪フィオレンティーナへとレンタル移籍。加入1年目となる12-13シーズンには公式戦40試合に出場し5ゴール7アシストを記録。持ち前の身体能力を活かした勢いのあるプレーで攻撃の中心となりチームの4位フィニッシュに貢献を果たした。

 

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  翌年も43試合で15ゴール11アシストとウインガーとしては充分な結果を残すとフィオレンティーナは買い取りオプションの行使に踏み切ることに。ウディネーゼから完全に保有権を買い取り、晴れてクアドラードは正式にフィオレンティーナの選手となった。

 

  また、同年にはコロンビア代表としてブラジルW杯に参戦。主力として出場するとコロンビア史上初のベスト8に貢献し、世界中のフットボールファンの注目を集めた。

 

  迎える14-15シーズン、W杯での活躍もありバルセロナバイエルン・ミュンヘンなど数多くのビッグクラブへの移籍の噂が取り沙汰されたが最終的にフィオレンティーナ残留で決着。同クラブの一員としてシーズンを戦うことが決定した。

 

  しかし、冬の移籍市場でイングランド・プレミアリーグの強豪チェルシーからオファーを受け移籍金3100万ユーロ(約40億円)+フィオレンティーナへのモハメド・サラー(現リヴァプール)の半年間の無償レンタルという形で契約は成立。慣れ親しんだフィレンツェの街に別れを告げる決意を固めた。

 

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  しかし、万物は流転するというのが人生の常というもの。ここまで順風満帆なキャリアを送ってきたクアドラードだったが、彼のサクセスストーリーもここで暗礁に乗り上げることになる。

 

  当時チェルシーを指揮するジョゼ・モウリーニョ監督の志向するサッカーに適応することが出来ず、やがて構想から外れてしまい満足のいく出場機会を得ることのできないままバルセロナから加入したペドロ・ロドリゲスに押し出される形でわずか半シーズンでユベントスへとレンタルに出されることになってしまった。

 

  当時のクアドラードは自身の調子がいいと判断すれば、ボールを繋げばいい状況でも無理に突破を仕掛ける嫌いがあり、恐らくそれが完璧主義のモウリーニョには快く思われなかったのだろう。

 

  「トーレス以降最低の補強だ」

 

  サポーターの間ではかつてリヴァプールで活躍しチェルシーへと移籍したものの結果を残すことの出来なかった元スペイン代表のフェルナンド・トーレスを引き合いに出してこう罵る者までいた。

 

  15-16シーズン、トップ下タイプの選手を求めていたユベントスは当時シャルケに所属していたユリアン・ドラクスラーを獲得寸前のところで逃していた。そしてそのタイミングでのウインガーであるクアドラードの加入であったためにサポーターの間ではその反動も相まってあまり歓迎ムードではなかった。

 

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(image@juventusfc)

 

  ユベントスを率いるアッレグリは戦術家として知られ、この指揮官の下で戦術理解度の低いクアドラードがチームにフィットできるのかという疑問もたしかにあった。

 

  たしかにチェルシー時代、戦術的な話をしているモウリーニョの側で頭上に?マークが浮かび上がったような表情を浮かべていた彼を知っていればサポーターの間に不安が生じるのも理解はできる。

 

  案の定デビューシーズン当初は個人でのプレーに走りがちで、守備にも難があった。しかし、そんな彼にでさえ自身のメカニズムを落としこんでしまうのがアッレグリの名将たる所以だ。あのモウリーニョですらお手上げだったクアドラードには試合を重ねる毎に守備意識が芽生え始め、周囲との連携も徐々に構築されていった。

 

  サイドバックステファン・リヒトシュタイナーの上がるスペースを生み出すために内に絞ったり、パウロ・ディバラが右に流れた際にはトップ下の位置まで進出したりと、かつてのスピードを頼りに強引に仕掛けるだけの凡庸なイメージは徐々に払拭されていった。

 

  同シーズン、最も印象的なプレーを挙げるとすればUEFAチャンピオンズリーグ・決勝トーナメント・ラウンド16のバイエルン・ミュンヘン戦のゴールだろうか。

 

  自陣でボールを奪ったサミ・ケディラのパスを受けたアルバロ・モラタが凄まじいドリブルでファイナルサードまで駆け上がってラストパスを送り、これを受けたクアドラードがシュートブロックに飛び込んできたバイエルンの主将フィリップ・ラームを嘲笑うかのように冷静にキックフェイントでかわし、マヌエル・ノイアーの守るゴールの右隅に突き刺したあのシーンだ。

 

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  「ユベントスと共に再びフットボールの世界で主役になれることをとても幸せに思うよ。ここで僕は満足している。セリエAでは上手くやれていると思うし、本当に快適に感じているよ」

  アッレグリの指導の下、柔軟性を身につけたクアドラードは世界でも屈指のサイドアタッカーへと変貌を遂げた。

 

  1年間のレンタル期間を終えて彼はチェルシーに復帰。同クラブの新監督であるアントニオ・コンテユベントス時代からクアドラードの獲得を望んでいたために再びイングランドの地でリベンジを果たすものと見られていた。

 

  しかし、本人はユベントスへの復帰を懇願。彼の母親がロンドンでの生活に適応できず体調が優れていなかったこともあり、チェルシー側は彼の希望を受け入らざるを得なかった。

 

  そうして夏の移籍市場最終日に買い取りオプション付きの3年間のレンタルでユベントスへの再加入が決定した。

 

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  「自分の家に再び戻り、仲間たちと全てを求めて突き進むことが出来ることを神に感謝している」

 

  自身のSNSでそう語ったクアドラードは再びビアンコネロのユニフォームに身を纏うこととなった。

 

  また、16-17シーズンのCL決勝レアル・マドリー戦を前にユベントスは買い取りオプションを行使。2020年までの3年契約を結んだ。

 

  難しいゴールは決めるのに簡単なシュートを外すのはご愛嬌。サイドを物凄いスピードで駆け上がり逆サイドでプレーするマリオ・マンジュキッチのゴールを演出するホットラインも円熟味を帯びてきた。

 

  今季から加入したフットボール界のアイコン、クリスティアーノ・ロナウドに自身の背番号である7番を快く譲渡したエピソードも記憶に新しい。

 

  一部報道によればアッレグリの残留が決定した際には本人も新契約にサインする準備が出来ているとのことで、指揮官との信頼関係も抜群だ。

 

  今ではユベンティーニの間でも毎年の楽しみの1つとなりつつある、タイトル獲得が決定した瞬間にアッレグリに飛びかかりバニシングスプレーで頭部を真っ白に染め上げる恒例行事を叶うことなら向こう数年間見続けていきたいものである。

 

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  迎える新シーズン、チームは前線にロナウドを加えより強力なスカッドが出来上がりつつある。無論ポジション争いも熾烈を極めることになるだろう。その中で昨季はサイドバックなどにもトライしたクアドラードがどんなプレーを見せてくれるのか楽しみで仕方がない。