【考察】ジョナサン・デイヴィッド孤立報道の背景を読み解く

ジョナサン・デイヴィッドに関するネガティブな話題が『X(旧Twitter)』上で取り上げられている。
端的に記すと「物静かで内向的な性格、言語の壁にも苦しんでいるデイヴィッドは、クラブ内で先輩メンバーたちによって孤立させられている」
「非公式な食事会にも“意図的に”招待されず、このような環境が、同選手のパフォーマンスを悪化させている」といったようなものだ。
にわかに信じ難いニュースではあったので、このような報道が出た背景を調べてみたところ、やはりこの噂はやや誇張されている印象が強い。
結論から書くと、これは「いじめ」というよりも、デイヴィッド本人が新しい環境に馴染むのに時間がかかっており、チームメイトたちも、このカナダ代表FWを「仲間」として受け入れるのに時間を要している、といった見方が強そうだ。

イタリア紙『TUTTO SPORT』は、今夏にフリーで加入したデイヴィッドは「高額な年俸」や「チームのエース(ドゥシャン・ヴラホヴィッチ)をクラブから追い出す存在」であること、また「本人の内気な性格」や「イタリア語の習得に苦労していること」などが古参選手たちとの間に壁を生んでしまったと指摘している。
これに加え、『Tribuna.com』によると「序盤戦の不調」や「出場機会の少なさ」が重なり、デイヴィッドは自分の殻に閉じこもるようになってしまったという見解を示していた。
そしてこういった要素が原因となり、クラブ史上初のカナダ人ジョカトーレはチームのディナーを欠席したり、招待を受けなくなる、という負のループに陥っていた可能性が高い。
整理すると…
序盤戦の不調で自信喪失→殻に閉じこもる→ディナーを欠席するようになる→(非公式の)会食に呼ばれなくなる
といった流れだろうか。
無論、『TUTTO SPORT』が報じたように、難しい立場であったことは間違いないだろうが、さも「いじめ」があったように記すのは、少し誇張しすぎな気がしてしまう。
また同紙によると、ルチアーノ・スパレッティ監督はこの問題の解決に取り組んでおり、デイヴィッドがチームに馴染めるよう尽力しているようだ。
その辺りの背景も踏まえると、CLパフォス戦での交代シーンで、デイヴィッドとスパレッティ監督がハグを交わしていたシーンの真意が見えてくる。

ヴラホヴィッチの長期離脱により、少なくとも春先まではチームのエースとして重責を背負うデイヴィッド。
パフォス戦での指揮官との熱い抱擁は、アイスマン(デイヴィッドの愛称)の心を閉ざしていた氷を、少しばかり溶かすことができたかもしれない。
※あくまで現地情報を整理したうえでの個人の見解であることはご理解ください。
ユベントス 2024/25 選手名鑑

2024-2025シーズン 選手名鑑
モッタ監督のもとで再出発を図り、開幕から2連勝と好調な滑り出しを見せたビアンコネーリだったが、10月にブレ―メルが離脱しチームは失速。
下位チーム相手にも取りこぼしが続き、9勝13分け1敗で4位(2月3日時点)とドローの多さが際立っている。
また拠り所としていたカンピオナートでの“無敗記録”もナポリに敗れたことで潰え、指揮官の解任を求める声もにわかに上がり始めた。
冬のメルカートでベイガ、ケリー、A・コスタ、コロ・ムアニを新たに加えた後半戦で立て直すことができるか。
当記事ではシーズン前半戦に起こった出来事などにも触れつつ、各選手のプロフィールを振り返る。
Portiere(ゴールキーパー)
マッティア・ペリン
イタリア/1992年11月10日

今季から背番号「1」を背負うジェノアユース出身の名手。2nd GKに置いておくには惜しいほどの実力者であり、セービング能力に関してはディ・グレゴーリオをもしのぐ。途中出場したシュトゥットガルト戦では試合にこそ敗れたものの、ビッグセーブを連発。PKもストップし、マン・オブ・ザ・マッチに輝いている。練習中にペットボトルを踏んで捻挫した経験有り。
カルロ・ピンソーリョ
イタリア/1990年3月16日

第3GKとしてチームを陰から支える兄貴分。ティフォージの間ではネタにされがちだが、ロッカールームには欠かせない頼れるムードメーカーだ。またC・ロナウドとも親しい間柄で、在籍時には二人のツーショットがSNSで散見された。カンピオナートの最終節に途中出場するのが恒例行事となっている。
ミケーレ・ディ・グレゴーリオ
イタリア/1997年7月27日

昨夏モンツァから加入した2023/24シーズンのセリエA最優秀ゴールキーパー。そのセービング能力もさることながら、足元の技術も高く評価されユベントスの正守護神に抜擢。ビルドアップにも参加し、チームのボール循環を円滑にする。CLシュトゥットガルト戦ではレッドカードを受けて退場する一幕も見られたが、初のビッグクラブでも堂々たるプレーを見せる。
Difensore(ディフェンダー)
アルベルト・コスタ
ポルトガル/2003年9月29日

今冬の補強第一号となったポルトガル人SB。A代表への招集歴はないものの、今季ヴィトリーア・デ・ギマンライスで1ゴール3アシストの活躍を見せ、ユベントス入りを果たした。移籍金は1250万ユーロ+ボーナスで背番号は「2」を背負う。現状ビアンコネーリでの出場はなく、今後に期待が寄せられる。
グレイソン・ブレーメル
ブラジル/1997年3月18日

対人守備の鬼。ダンプカーのような強靭な肉体で相手FWをなぎ払うだけでなく、ビルドアップでも貢献できるビアンコネーリの大黒柱。アッレグリの受動的なスタイルからモッタの主導権を握るカルチョへと移行する過程で、不安定となっていた守備を“個の力”で支えた。昨年10月に前十字靭帯を損傷し長期離脱。それと同時にチームは失点が止まらなくなり、このブラジル代表への依存度が浮き彫りとなった。
フェデリコ・ガッティ
イタリア/1998年6月24日

イタリア語で“ネコ”の意味の名前を持つ身長190cmの大型センターバック。体を張った豪快な守備でチームを窮地から救う。空中戦にも強く、昨季はディフェンダーながら4ゴールをあげている。攻撃が手詰まりになると自らドリブルで前進していく嫌いがあるが、効果的に機能した場面は少ない。17歳で高校を中退し、レンガ職人として働く傍らアマチュアでプレーした過去を持つ苦労人。
レナト・ベイガ
ポルトガル/2003年7月29日

ブレ―メル離脱に伴い今冬のメルカートでチェルシーからドライローンで加入した左利きセンターバック。190cmと長身で空中戦や競り合いに強く、左サイドバックとしてもプレー可能なユーティリティー性を併せ持つ。ボールの扱いにも長けており、長短のパスを交えながらチームのビルドアップを助ける。父ネルソンも元サッカー選手で、カーボベルデ代表としてプレー。
ピエール・カルル
フランス/2000年6月5日

昨夏カラフィオーリ獲得に失敗し、トディボをも逃したフロントが白羽の矢を立てたのがこのフランス人DFだ。当初はその実力に懐疑的な声も向けられていたが、豊富な運動量や献身的な守備の姿勢が高く評価され、すぐさまレギュラーに定着。実力で周囲の雑音をかき消した。セリエA第21節、古巣ミランとの試合後には「勝利は重要なものではない。唯一のものだ」と故ボニペルティ名誉会長の名言をインスタグラムに投稿しティフォージの心を掴んだ。
ロイド・ケリー
イングランド/1998年10月6日

今冬最後の補強としてメルカート閉幕直前にニューカッスルから獲得。センターバックのみならず左サイドバックもこなすポリバレントな才能と、ビルドアップにも加わることのできるボールスキルはモッタ監督好みか。190cmと長身ながらスピードもあり、カバーリング能力にも秀でたレフティーは不安定な最終ラインを修繕することができるか。ブリストル・シティ時代の恩師リー・ジョンソンは、そのプレースタイルを「まるでビースト」と絶賛。
アンドレア・カンビアーゾ
イタリア/2000年2月20日

マルチロールをこなす柔軟性と高い戦術理解度を武器に“モッタ・イズム”を体現するモダン・フットボーラー。左右どちらのサイドバックでもプレー可能であり、今季は2列目もこなす。イタリア代表でも主力を担い、今冬にはマンチェスター・シティからディフェンダーとしては異例の“8000万ユーロ”のオファーが届いた。笑顔が素敵。
フアン・カバル
コロンビア/2001年1月8日

左サイドを主戦場とするコロンビア出身の左利きサイドバック。エラス・ヴェローナで2年間プレーした後、今季からビアンコネーロのシャツに袖を通す。堅実なプレーでユベントスの守備を支え、10月のラツィオ戦では相手のオウンゴールを誘発し、チームを勝利に導いている。11月のインターナショナルブレイク中に前十字靭帯を負傷し、今季中の復帰は絶望となった。
ニコロ・サヴォーナ
イタリア/2003年3月19日

今季躍動するNext Gen(リザーブチーム)組のひとり。開幕節のコモ戦で後半から出場しトップチームデビューを飾ると、続く第2節エラス・ヴェローナ戦では先発に抜擢され、さらに初ゴールを記録。モッタ監督の信頼だけでなく、ティフォージの心も掴んだ。192cmと上背もあり、右サイドバックのレギュラーとして与えられた役割を愚直にこなす。
ヨナス・ロウヒ
スウェーデン/2004年1月7日

バングーラやサヴォーナとともに今季Next Genから昇格した若きスウェーデン人SB。第2節のエラス・ヴェローナ戦にてカバルと交代でピッチに入り、トップチームデビューを飾った。現状は攻守ともに改善の余地あり。第15節のボローニャ戦ではカンビアーゾの負傷に伴い13分からピッチに立ったが、セリエAのレベルの高さを痛感させられる苦い思い出となった。趣味は格闘技で「テコンドーのおかげでカルチョでは鍛えられなかった筋肉をつけることが出来た」とは本人の談。
Centrocampista(ミッドフィルダー)
マヌエル・ロカテッリ
イタリア/1998年1月8日

失意のEUROメンバー落選から一念発起。類まれな戦術眼とキックセンス、気の利いたポジショニングを武器にモッタのもとで不動の地位を確立。ボール保持の展開では最終ラインに下りてビルドアップを助ける。昨年11月にはその活躍ぶりがついにスパレッティ監督に再評価され、8ヶ月ぶりとなる代表復帰を果たした。今季はダニーロに代わって腕章を巻く試合も多数。少年時代からのユベンティーノとしても知られる。
トゥーン・コープマイネルス
オランダ/1998年2月28日

夏にアタランタから5000万ユーロで獲得した“オランイェ”の司令塔。豊富な運動量でピッチを駆け回り、つねに周囲への指示出しを怠らない。昨季ラ・デア(アタランタの愛称)では15ゴール7アシストと攻撃面で違いを生み出していただけに、今季2月時点で2ゴール3アシストという成績はやや物足りなさが目立つか。チームが得点力不足の悩みを抱えているだけにオフェンス面でのさらなる貢献を期待したい。
ウェストン・マッケニー
アメリカ/1998年8月28日

夏の戦力外扱いから一転、本職の中盤のみならず、センターフォワードやサイドバックもこなす万能ぶりが評価されチームに欠かせない存在に。CLのマンチェスター・シティ戦ではアクロバティックなボレーで豪快にネットを揺らし、チームを勝利に導いた。大の『ハリー・ポッター』ファンで、ゴールセレブレーションでは魔法の杖を振るう。パスセンスも一級品で、海外のユベンティーニの間ではピルロの体にマッケニーの顔を当てはめたモンタージュ画像が出回っている。
ヴァシリィエ・アジッチ
モンテネグロ/2006年5月12日

10月のラツィオ戦でトップチームデビューを飾った逸材。“モンテネグロのデ・ブライネ”とも称される攻撃的ミッドフィルダーで、17歳の頃にユベントス入りが内定。法的にプロ契約を結ぶことができるようになった昨夏、正式にビアンコネーリの一員となった。テクニックと戦術眼に秀でたプレーメーカーでありながら、守備にも精を出す次世代のスター候補。古巣ブドゥチノスト・ポドゴリツァ時代の恩師ミリンコヴィッチ曰く、適正ポジションは「8番」と「10番」。
ケフラン・テュラム
フランス/2001年3月26日

ユベントスのレジェンドであり元フランス代表としても活躍したリリアン・テュラムの次男坊。中盤が飽和していたこともあり獲得時には疑問の声もあがっていたが、蓋を開けてみればチームの主軸としてロカテッリとともに中盤を支えている。スタミナと戦術理解度を備えながら縦への推進力も魅力で、昨年末のフィオレンティーナ戦ではドッピエッタを記録しテベスのバイオリンを弾くゴールセレブレーションを披露。兄マルクスはインテル所属。
ドウグラス・ルイス
ブラジル/1998年5月9日

夏の目玉補強としてアストン・ヴィラから移籍金5000万ユーロで加入。昨季は10ゴール10アシストという実績を残していただけに期待も高まっていたが、シーズン序盤を怪我で棒に振るなど運がなかった。技術の高さは明らかでモッタ監督からも高い評価を得ているが、現状は横パスや後方へ戻すプレーが多くセリエAへの適応に苦戦している印象だ。歯車が嚙み合えば爆発しそうな雰囲気が漂うだけに、後半戦でのパフォーマンスに期待したい。
Attaccante(フォワード)
フランシスコ・コンセイサオ
ポルトガル/2002年12月14日

夏にローンで加入したポルトの“10番”を背負う快速ドリブラー。圧倒的な個人技で右サイドを制圧し、相手ディフェンダーを手玉に取る。ビアンコネーリの攻撃の中心であり、CLライプツィヒ戦では1ゴール1アシストを記録して逆転勝利に貢献した。メディアでは「コンセイソン」表記が多いが、正しい発音は「コンセイサオ」。かつてセリエAやポルトガル代表で活躍し、現在はミランの指揮官を務めるセルジオの四男。
ドゥシャン・ヴラホヴィッチ
セルビア/2000年1月28日

ビアンコネーリの背番号「9」を背負うセルビア代表ストライカー。ミリクの長期離脱に伴い、チーム唯一のセンターフォワードとしてこの過密日程を戦い抜いた。裏抜けを得意とするタイプだが、モッタ監督のもとではポストプレーや周囲を活かすプレーも求められ苦戦中。疲労も相まって決定機を逃す場面も少なくなかったが、それを差し引いてもチームの厳しい台所事情を支えた功績は大きい。今冬にはサウジアラビアのアル・ヒラルから高額オファーが届くも拒否。残留の意志を固めている。
ケナン・ユルディズ
トルコ/2005年5月4日

伝統の背番号「10」を継承したNext Genの出世頭。CL初戦のPSV戦ではゴール前左45度の角度から右足で華麗なコントロールシュートを決めて舌を出すゴールセレブレーションを披露。ビアンコネーリの“レジェンド”、デル・ピエロ氏へのリスペクトを払った一連のアクションでユベンティーニを虜にした。左右どちらの足も起用に使いこなし、キレのあるドリブルで相手ゴールに迫る。昨年12月には「ゴールデンボーイ・ウェブ」を受賞。クラブの“顏”として期待を寄せられる。“Yıldız”はトルコ語で「星」の意。
ニコラス・ゴンサレス
アルゼンチン/1998年4月6日

夏にローンで加入したフィオレンティーナの元“10番”。10月に筋肉系の怪我で離脱するも、12月に復帰してからは本領発揮。本職のウイングだけでなく、センターフォワードとしてもプレーし、周囲と上手く連携をとりながら得点に絡む。試合後のコメントでは毎回「笑顔でプレーすることを意識している」と話しており、ムードメーカー的な一面も見せている。年末恒例のユベントスの食事会では、チームメイトの前で世界的シンガー“オズナ”の『El Farsante』を熱唱。するとこれが思いのほか上手く、SNSで反響を呼んだ。
アルカディウシュ・ミリク
ポーランド/1994年2月28日

負傷に悩まされ続けるポーランドの大器。昨季は限られた出場機会でも結果を残し、スーパーサブとしての役割を受け入れつつも8ゴール1アシストを記録。豊富なフィニッシュパターンを武器に与えられたタスクを遂行した。ポストプレーも上手く、ヴラホヴィッチとはタイプの異なるストライカーとしてチームに厚みをもたらすことが期待されるが、開幕前の代表戦で負傷し今季は一度もピッチに立てていない。2月中に復帰見込み。
ランダル・コロ・ムアニ
フランス/1998年12月5日

得点力は言わずもがな、チームプレーも得意とするフランス代表のストライカー。PSGのレンタル枠の問題で加入時にひと悶着あったが、移籍後すぐに行われたナポリ戦、エンポリ戦では早速先発に抜擢。2試合で3ゴールを決め、そのポテンシャルの高さを披露した。ヴラホヴィッチひとりに依存していた“ストライカー問題”を解決する存在として、後半戦に期待が高まる。好きな選手はトレゼゲ。
ティモシー・ウェア
アメリカ/2000年2月22日

かつてミランでもプレーした“リベリアの怪人”ジョージ・ウェア氏の息子。昨季はウイングバックとしての出場が多くあまり持ち味を活かせなかったが、2列目での起用が増えた今季は5ゴール3アシスト(2月3日時点)と徐々にその才能を発揮。限られた出番で自身の存在をアピールしている。CLマンチェスター・シティ戦では同胞のマッケニーとともにカウンターからゴールをアシストし、チームの勝利に貢献した。近頃はサイドバックにも挑戦中。
サミュエル・バングーラ
ベルギー/2004年1月16日

今季Next Genから昇格したベルギー出身のウインガー。誰も予想し得なかった開幕スタメンの座を掴むと、その試合でチームとしてのシーズン初ゴールを記録。さらにアシストもマークし華々しいデビューを飾った。左サイドを主戦場とし、カットインからファーを狙ったコントロールシュートが得意な形。また前線からの守備も上手く、試合をクローズしたい場面でも投入される。セリエCではやや伸び悩んでいたが、モッタ監督との出会いが転機となった。
Allenatore(監督)
ティアゴ・モッタ
イタリア/1982年8月28日

ボローニャをクラブ史上初のCL出場権獲得に導いた手腕が買われ、ビアンコネーリの再建を託された知将。選手が流動的にポジションを入れ替え、ボールを保持して試合の主導権を握るカルチョを試みたが、CLライプツィヒ戦で守備の“大黒柱”であるブレ―メルが長期離脱。これを機に守備が崩壊し、下位チーム相手にも引き分けが続くなど苦しい時期を過ごしている。夏にスカッドの大刷新を行ったにも関わらず結果を得られていないこともあり、ティフォージからの批判の声は日に日に大きくなっている。後半戦での巻き返しに期待したい。
コラム : さらなる高みを目指して、ヴォイチェフ・シュチェスニーの決意

image@weszlo.com
森林伐採を終えて、立派に育った成木の切り株や根元からは蘖(ひこばえ)と呼ばれる新たな命が芽吹く。それはやがて成長し、より逞ましい樹木となる。
偉大な先人たちが築いた歴史あるクラブ、ユベントス。この白と黒で染められた樹々の群れは、そのひとつひとつが立派な大樹として生涯を全うした後、次の世代へとバトンを渡し、新たな芽が育つための環境を作り上げていく。
昨季終了後、ジャンルイジ・ブッフォンやクラウディオ・マルキージオらビアンコネーロを象徴するジョカトーレがクラブを去っていった。
彼らは一人の選手として、そして一人の人間として模範的な態度を示し、“Fino alla fine”の精神を次世代へと伝える役目を果たした。
その薫陶を受けた今季のユベントスは、クラブレコードを記録するほどの驚異的なペースで勝ち点を積み重ねている。
敗北や引き分けが濃厚なゲームでも試合を諦めず、最後には強引に勝ちを引き寄せるその姿勢は紛れもなく先人たちの遺したそれの賜物だろう。
そんなチームの中で、偉大なるカピターノ、ジジ・ブッフォンの後を引き継ぎ今季から正守護神を務めるのがポーランド代表のGKヴォイチェフ・シュチェスニーだ。
17年間を老貴婦人(ユベントスの愛称)に捧げた前任者の後継となることに少なからずプレッシャーを受けることも懸念されたが、本人は「僕はネクストブッフォンにはなれないよ」と謙虚な姿勢を見せる。
「僕がなれるのはユベントスの新しい背番号『1』ということだけさ。そしてゴールに飛んでくるボールを止めることだけだよ」
そう語るシュチェスニーはブッフォンの幻影に囚われることなく、自身の最善を尽くした新たなる背番号「1」の像を築きあげようとしている。
冷静なポジショニングと飛び出しの判断、そして安定したセービング能力を兼ね備える彼はリーグでも屈指の実力者と言っても過言ではないだろう。
そんなシュチェスニーの才能は母国の強豪レギア・ワルシャワによって見出され、そしてイングランドの雄アーセナルによって磨かれた。

image@Central Telegraph
2006年、ロンドンに居を構えるこのクラブに入団し、下部組織やリザーブチームで経験を積んだシュチェスニー。その活躍はやがて首脳陣の目に留まり、2008/09シーズンの最終節・ストーク・シティ戦にはトップチームにも招集されるなど着実に成長を遂げる。
翌年、当時イングランド3部を戦うブレントフォードに半年間のレンタルで加入。移籍当初は降格も濃厚とされていたチームだったが、半年後には9位でシーズンを終え、その快進撃の立役者となった。
そしてレンタル期間を終えた2010/11シーズン、チャンス行きの列車は彼の前に突然やってきた。
アーセナルに復帰したシュチェスニーはウカシュ・ファビアンスキ、マヌエル・アルムニアらの控えとしてトップチームの第3GKとしてベンチを温める時間が続いた。
しかし、両GKの負傷によって出場機会が回ってくると、そこから安定したパフォーマンスを披露。レギュラーに定着することとなった。
そして翌年、アルムニアが退団した後は背番号「1」を託されるなど周囲からの信頼を実力で勝ち取って見せた。
「シュチェスニーには判断力、俊敏性、鋭さが備わっている。以前から優秀な選手ではあったけど、彼は賢くて経験したことをすぐに習得してしまうんだ」
「信頼していただけに彼が成長して、非常に強力なGKになってくれてとても満足しているよ。プレミアリーグでもトップ5に入るGKであると誰も疑わないだろうね」
そう太鼓判を押すのは22年間アーセナルの指揮を執った若手抜擢に定評のあるフランスの巨匠、アーセン・ヴェンゲル氏だ。当時20歳だったこの逸材を信頼し、ピッチに送り出した同氏の英断は彼の才能により一層の磨きをかけることとなった。

image@Daily Express
しかし、上手くいっているときこそ勝って兜の緒を締めなければならない。成功を収めているとき、人というのは油断をしてしまう生き物なのかもしれない。
当時24歳だった彼は、大きな過ちを犯してしまう。
2014/15シーズン、プレミアリーグ・サウサンプトン戦に敗れた後、ロッカールームにてシュチェスニーの喫煙している姿が目撃された。
もちろん喫煙という行為が法に触れているわけではないが、スポーツマンとしての振る舞いとして、それは褒められたことではない。
この行動を問題視したクラブは彼に罰金を課し、さらにこの年に新加入したダビド・オスピナにレギュラーの座を奪われてしまうこととなった。
また、この一件をキッカケに指揮官との確執も噂されるなど周囲の状況は一変した。そのうえ、翌年にアーセナルはチェルシーからワールドクラスのGKペトル・チェフを獲得。
シュチェスニーはこの2人の実力者に押し出される形でローマへとレンタル契約で旅立つこととなった。
しかし、彼は恩師との不仲説を否定し、自身の犯した過ちから目を背けることなく向き合い、前を向く。
「ヴェンゲルを恨んだことは一度もないよ。彼は僕の恩人なんだ。ロッカールームで喫煙したことは事実だけど、僕は自分の過ちについて責任をとってきたし何も問題にはなっていないよ」
「誰もが僕が過ちを犯したことを知っている。でも僕は結果を受け入れてきた。ヴェンゲルはいつも僕にはっきりとした態度をとってきたし、僕は誠実な人間が誠実な扱いをされるべきだと信じている」
過去と向き合い覚悟を決めたシュチェスニーは、レンタル先のローマでリーグ戦全試合に出場し安定したパフォーマンスを披露。チームのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権獲得に大きく貢献した。
さらに、2年目となる2016/17シーズンもリーグ戦フル出場を記録。このイタリアの名門のゴールマウスに君臨し続けた。

image@101 Great Goals
一方、ブッフォン退団の噂もにわかに囁かれていた当時のユベントスは、その後継に相応しい器を探している最中、ライバルクラブで異彩を放つこのポーランド代表GKに関心を寄せ、正式にオファーを提示することを決意する。
ユベントス首脳陣はローマとは異なり、レンタルでの獲得ではなく完全移籍での獲得を希望した。つまり、このオファーを彼が受け入れることは、11年間という長い時を過ごした愛するクラブ、アーセナルを退団することを意味する。
それでも彼は自身の成長のため、まだ見ぬ高みへと歩みを進める覚悟を決めた。
「人生における新たなチャレンジのため、この素晴らしい思い出とたくさんの経験を携えて、僕は一歩を踏み出す」
「全ての試合に勝利したい。そう思ってここに移籍することを決めた」
自身にとって“特別なクラブ"との別れを惜しみつつも、新たな環境に身を投じることに意気込むシュチェスニーは、ユベントス在籍1年目となる2017/18シーズン、ブッフォンの控えという立場ながらリーグ戦17試合に出場。
キャリア晩年となるカピターノの負担を減らし、7年連続となるスクデット獲得の大きな原動力となった。

image@BBC
「例え第2GKだったとしても、今までのキャリアの中で最高のシーズンとなったよ。なんたって最高のレジェンドから学ぶ機会を得たんだからね」
当時のブッフォンと過ごした日々を懐かしむ彼は、今季からこの偉大なるカピターノが身につけた背番号「1」を継承し、ビアンコネーロの正守護神の座に就く。
「彼の次にゴールを守ることは簡単なことではないと思っている。不用意なミスなんて出来ないしね。でも、そんな気持ちではユベントスのGKは務まらないよ」
「全力を尽くし、相手に得点を許さない。それこそが今自分がするべきことだ」
かつて愚行を犯し、チームでの居場所を失った頃の未熟なメンタリティは今やもう、その芯までもが白と黒色に染まっている。
今季初黒星を喫したCLグループステージ第4節・マンチェスター・ユナイテッド戦の出来事がいい例だ。
シュチェスニーは相手方のOBに"チーム唯一の弱点"と揶揄され、非難の的となった。
それでも、その4日後に行われたセリエA第12節・ミラン戦ではゴンサロ・イグアインのPKをストップし自軍の勝利に貢献。
周囲の"雑音"を口を開くことなく、結果を出すことで掻き消してみせた。

image@instagram
無論、これまでの彼のプレーを見てきたティフォージであれば、シュチェスニーがチームの弱点ではないことなど重々承知しているだろう。
実際、ネット上ではこの「弱点」発言に抗議する声も散見された。
それでもこの発言に言及することなく、行動で自身の存在価値を証明してみせたミラン戦でのパフォーマンスからは漢気を感じずにはいられない。
ゴールキーパーというのは、たったワンプレーで「勝利を呼び込む英雄」にもなり得るし、対照的に「敗北のきっかけを生んだ戦犯」にもなり得る難しいポジションだ。
競争の激しいプロの世界ともなれば、その肩にかかるプレッシャーの程は想像に難くないだろう。
そんな重圧と日々戦いながら、彼らは今日を生きている。
1年前、フットボールの歴史に名を残すレジェンドに背中を任されたこのユベントスの新たなる背番号「1」は、前任者から多くのもの学び、そして受け継ぎ、さらなる高みへと一歩を踏み出した。

image@jmania.it
生ける伝説、ジジ・ブッフォンの残した小さな蘖は、色鮮やかな青葉を揺らしながらすくすくとその丈を伸ばし、青空へ向かって上へ上へと立派に成長を続けている。
コラム : 涙

(image@twitter)
憧れ、期待、羨望。それらは時に計り知れないほどの重荷となって人に襲いかかる。
2018-19シーズンが開幕してから1ヶ月、例年よりもベンチを温める時間が増えたアルゼンチンの“宝石”パウロ・ディバラを苦しめていたのは恐らくそれだ。
代表チームではリオネル・メッシと、所属クラブではクリスティアーノ・ロナウドと。「世界最高」の評を二分するフットボール界のスーパースター2人とプレーすることを許された世界でも数少ないプレーヤーであるディバラは次世代のバロンドール候補の筆頭として世界中のフットボールファンから期待を寄せられている。
また、ユベントスの選手としてかつてロベルト・バッジョやアレッサンドロ・デル・ピエロら偉大な英雄たちが背負ってきた栄光の背番号「10」を任された彼は、その端整な顔立ちも相まってティフォージから絶大な人気を集めている。

(image@twitter)
得点力も高く狭いスペースでも巧みなボールタッチで相手のディフェンスラインを流れるようにスルスルと抜けていくその彼の才能に疑問を持つ者など、この広い世界のどこを探しても見つからないだろう。
しかし、傑出した才能をただ並べれば試合に勝てるほどフットボールというのは単純なものではない。選手それぞれの特徴を活かした配置や戦術など、様々な要素が絡み合って初めてチームというものは成り立つのである。
「メッシとの共存は難しい」
こう評したのは前アルゼンチン代表監督のホルヘ・サンパオリだ。彼は誰もが認めるスーパースターのメッシを中心としたチームを作りあげW杯ロシア大会に臨んだ。彼の選んだ23人の中にはもちろんディバラの名前もあった。
しかし、ディバラの出場時間はグループステージ第2戦のクロアチアとの試合で後半からプレーした約20分のみとごく僅かなものとなった。
「ディバラとメッシの関係性を築く時間が今はない。それよりももっと他の部分を詰めるべきだ」

(image@twitter)
そう話し、2つの偉大な才能は混じり合うことなく大会は幕を閉じた。皮肉にもアルゼンチンはフランスとの壮絶な打ち合いの末、僅か1点の差でひと足先に大会を去ることになるのだが。
そして代表チームでの活動が一旦終わり、ユベントスの選手として新たなるシーズンに臨むディバラは今度はこの夏に新たにチームに加入したもう1人のスーパースター、ロナウドとの共存を求められることとなった。
開幕戦は[4-2-3-1]のトップ下として先発し、可もなく不可もなくといったパフォーマンス。しかし、それだけでは現在のユベントスでレギュラーの座を掴むのは難しい。
指揮官のマッシミリアーノ・アッレグリは例えスター選手であろうとコンディションの上がっていない選手を試合に使うことはしない。練習でしっかりと自身をアピールし、準備ができている者だけをピッチに送り出す監督だ。
未だコンディションの上がりきっていなかったディバラは続くラツィオ戦、パルマ戦と先発に名を連ねることはなく、チームが基本システムをトップ下を置かない[4-3-3]へと固めていくその過程で彼は徐々に出場時間を減らしていった。

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しかし、もしこれで彼が腐るような選手であったのなら彼は現在欧州の頂きを目指して邁進するクラブでエースナンバーである背番号「10」を託されてなどいなかっただろう。
リーグ戦3試合を終えて代表ウィーク迎えた9月。ディバラは代表チームの活動のため他の選手たちと同様チームを離れた。そして親善試合のコロンビア戦の後、メディアにコメントを求められた彼はこう語った。
「ぼくはユベントスに戻って次の試合の準備をする。UEFAチャンピオンズリーグのバレンシア戦も控えているし、万全の準備をしなければいけない」
彼は先を見据えながら「ぼくらは常にベストを尽くす必要がある。シーズンは長いんだからね」と続け、ただ前だけを向いていた。
世の中というのは不思議なもので、例え努力が結果に現れなかったとしても、その努力を見てくれている人間は必ずいる。
代表ウィーク直前のパルマ戦で最後の15分だけプレーしたディバラを指揮官はちゃんと評価していた。

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「パウロは15分という時間の中で多彩なアプローチをしていたね。私は非常に満足しているよ。彼がこれまでプレーしなかったのは技術面やフォーメーションによる選択だ。彼の持つクオリティーに疑いの余地はないよ」
そう語ったアッレグリは次節のサッスオーロ戦でディバラを先発させた。スタート位置は右のウイングだが、前線のマリオ・マンジュキッチ、そしてロナウドと流動的にポジションを入れ替えながら攻撃に絡みチームの勝利に貢献した。ただ、ゴールだけは遠かった。
続くCLバレンシア戦はサッスオーロ戦で負った左足の負傷の影響もあってか先発からは外れ、ベンチで試合の様子を見守ることとなった。この試合は前半の早い時間帯でロナウドが疑惑の判定で退場処分を受けた影響もあり、安易に攻撃的な布陣に変更することは出来ず出番は回ってこなかった。
また、この試合で先発したシーズン開幕から好調を維持する俊英、フェデリコ・ベルナルデスキはこの日も最高のパフォーマンスを見せチームの勝利に貢献した。
今シーズン未だゴールから遠ざかっているディバラの目に同い年の同僚の活躍がどう映っていたかは想像に難くないだろう。
続く第5節のフロジノーネ戦、ディバラはトップ下としてフル出場を果たした。やはり彼は中盤と前線を繋ぐリンクマンのような動きに長けており、適正ポジションは右サイドではなく“ここ”であるように思えた。
前線を自由に動きまわり味方のパスを受けてはチャンスに繋がるパスを出し、時には味方のビルドアップの助けとなるために中盤まで下がって新たなパスコースを提供する。この日のパフォーマンスも上々のものではあった。
ただ、この日もゴールを奪ったのは途中出場のベルナルデスキだった。

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攻撃的なポジションでプレーする選手というのはやはりどうしてもゴールという目に見える結果を求められてしまう。そしてティフォージもそれを求めてしまう。その点ではベルナルデスキの方に分があった。
心なしか、近頃のディバラのプレーからは焦りのようなものを感じることが時々あった。
「今シーズンの布陣の最適解は[4-3-3]、ディバラのポジションはない」
そういったメディアやネット上の声が彼をそうさせてしまっていたのかもしれない。
そんな状況の中で迎えたボローニャ戦。過密日程をこなさなければならないユベントスはいつもと布陣を変えて[3-5-2]の陣形を採用した。ディバラは2試合連続の先発出場。ロナウドと2トップを組む形で試合に臨む。
すると前半が始まって間もない頃、レオナルド・ボヌッチからため息の出るほどの鮮やかなロングフィードが放たれた。それに誰よりも速く反応したのがディバラだった。
彼は宙に浮いたボールを横を並走していたチームメイトのブレーズ・マテュイディへと頭で落とす。そしてマテュイディが右足を振り抜く。それは相手ゴールキーパーの腕に当たり再び宙を舞い、ディバラの目の前に落ちていく。

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彼はそれが地面に落ちるのを見届ける前に利き足とは逆のもう一方の足で豪快に叩いた。
アリアンツ・スタジアムが一斉にどよめいた。
どんなに不恰好でもいい。泥臭くたっていい。正真正銘、これが紛れもないパウロ・ディバラの今シーズン初ゴールだ。
彼は顔がしわくちゃになるぐらいにグッと顔に力を入れ、握っていた拳で見えない天井を思いっきり突き上げるかのように大きなガッツポーズをして喜びを爆発させた。
今までの彼にとってはこれまで挙げてきた数ある得点の内の一つに過ぎないものだったかもしれない。しかし、今シーズンの彼にとっては自身を縛り付けていた重圧を振りほどくには大き過ぎる一点だった。

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彼のゴールを祝うために集まったチームメイトたちに囲まれ、堪えていた涙が溢れ出る。
「ヌメロ ディエーチー!!! パウロー!!!」
スタジアムDJの声が響き渡りティフォージがそれに応える。
「ディーバラー!!!!」
トリノの郊外にあるこの建物を熱狂的な歓声と温かい拍手が包み込んだ。まるで、重圧から解放された彼に「おかえり」と言うように。
試合後、ディバラはこう話す。
「ぼくはチームのために常にベストを尽くしてやってきた。これまでも悪い試合はなかったとは思う。ただ、得点が足りなかったんだ。多くのユヴェンティーニからそれを求められていたことはわかっていたよ」
彼は一点の曇りもない笑顔で続ける。
「今夜の得点はぼくに自信を与えてくれるものになるだろうね」
彼を縛りつけていたプレッシャーという名の鎖は既にちぎれ、この日流した涙と共に全て外へと流れ出た。彼を抑えつけるものはもう何もない。
"La joya"(西語で"宝石"の意)と称されるこのダイヤモンドの原石はまだまだ輝き始めたばかりだ。
彼がいつか真の輝きを放つとき、ユベントスは悲願であるビッグイアーを獲得することができるだろう。

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パウロ・ディバラの冒険はまだまだ続く。
コラム: いざ、最終章へ、いぶし銀トリオが紡いだ波瀾万丈物語

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「三位一体」とはキリスト教の世界において父・子(イエス)・精霊の3体が独立性を持ちながらも1体の神であるという教えの事であり、3つの別々の要素が1つのもののように固く結びつくことを意味する。
今シーズンからフットボール界のアイコン、クリスティアーノ・ロナウドを新たに迎えたことで世間からも注目を浴びているイタリア・セリエAのクラブ、ユベントスには正に“鉄壁”とも呼ぶべき1つの壁を形成する3人の戦士たちがいる。
1人は一度は同国のライバルクラブに鞍替えするも批判を覚悟で戻ってきた実力は折り紙つきのディフェンスリーダー。1人はピッチに迷い込んだテントウムシを助け出すなど優しい心と分厚い胸板を併せ持つタフガイ。そしてもう1人は今シーズンからジャンルイジ・ブッフォンの後を引継ぎキャプテンとしてチームをまとめる闘志溢れるプレーが持ち味の熱血漢。
彼らは「前人未踏の7連覇」というユベントスが紡いだ壮大な物語の序章を知る数少ない男たちであり、レオナルド・ボヌッチ、アンドレア・バルザーリ、ジョルジョ・キエッリーニ、彼ら3人のイニシャルを合わせた“BBC”と呼ばれるディフェンスユニットは世界一堅固な壁として数多のアタッカーの前に立ちはだかってきた。

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ユベントスは2010-11シーズンまではオーソドックスな[4-4-2]システムを使用していたが、7連覇の始まりとなる2011-12シーズンからは新たに指揮官として就任したアントニオ・コンテ監督によって[3-5-2]システムが導入されることとなった。
これは同シーズンにACミランからやってきた稀代の天才レジスタ、アンドレア・ピルロを活かすためのシステムである。これに伴い後衛のバックラインは以前までの2人のセンターバックと2人のサイドバックから形成される4バックから3枚のセンターバックを並べる3バックへと変更されることとなった。
同年、このシステム変更が功を奏しセリエA史上2チーム目となる無敗優勝という偉業、ならびに6年ぶり(カルチョーポリで取り消しにされた分を含む)となる悲願のスクデット獲得に成功する。そして、驚くべきことに同シーズンで戦ったリーグ戦38試合の内20試合でクリーンシート(無失点試合)を達成させている。
また、シーズンを通しての失点数はたったの20。これはリーグ最小で1試合平均約0.5と驚異的な数字となっている。そしてこの堅守を支えたのが前述した3人のセンターバック、ボヌッチ、バルザーリ、キエッリーニだ。
そう、後にBBCと呼ばれることとなる3人である。
当時ミスの多かったボヌッチは3バックの中央に起用され始めてから徐々に安定感を増し、相手の動きを読んだ鋭いインターセプトや空中戦の強さを武器にチームのため奮闘した。
バルザーリは優れた危機察知能力を持ち合わせ、カバーリングの技術に長けておりラインの上げ下げの判断も的確。ディフェンスの主軸としてフル稼働し守備の要として躍動した。
キエッリーニはシーズン開幕前こそプレシーズンマッチなどで不用意なミスなどが目立ち批判を浴びていたが、対人守備の強さや気迫のこもった守備で敵のアタッカー陣を封じ込み、シーズンが終わってみれば「ユベントス復活の象徴」などと賞賛を浴び周囲からの評価を一変させた。
このイタリア人トリオは代表チームでも苦楽を共にし、ゴールキーパー兼キャプテンを務めるブッフォンらと共にクラブ、イタリア代表の両チームで長きに渡り鉄壁を築きあげた。

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そして、彼らの連携はシーズンを重ねるごとに円熟味を増していき2連覇、3連覇と国内で圧倒的な強さを誇る老貴婦人(ユベントスの愛称)の顔として最終ラインに君臨し続けた。
ボヌッチが卓越したパスセンスでゲームを作り、キエッリーニが機を見てドリブルで持ち上がりスペースの回復のための時間を作る。例えそこで奪われたとしてもその裏のスペースはバルザーリがしっかりとカバーに入る。それぞれの特徴を活かし、それぞれの足りないものを補い合う。正に三位一体、理想の関係だった。
やがてコンテ政権が終わり、2014-15シーズンからは新たにマッシミリアーノ・アッレグリが監督として就任した。彼はコンテの[3-5-2]システムを踏襲しつつも徐々に自らの色を出し基本システムを[4-3-1-2]システムへと移行させたが、それでも対戦相手によってはBBCを用いた3バックを採用するなど柔軟な采配を披露し、コンテの後を上手く引き継ぐことに成功した。

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また、4バック時も右サイドバックにバルザーリを起用したりとアッレグリ政権下でもBBCは色褪せることなく貴重な戦力として在り続けた。
2016-17シーズン、カーディフで行われたレアル・マドリーとのUEFAチャンピオンズリーグ決勝では“BBC対決”と題され、最強の矛BBC(ガレス・ベイル、カリム・ベンゼマ、クリスティアーノ・ロナウド)に最強の盾BBCがどう立ち向かうのかに注目が集まった。(結果は1-4で敗北)
そして2017-18シーズン開幕を控えた夏、事件は起こった。
この夏、クラブはブレーズ・マテュイディやドウグラス・コスタなどの実力者を獲得しビッグイアーに照準を合わせていた。また、偉大なるカピターノ、ジジ・ブッフォンのラストシーズンであるとも言われており、彼の最後を花道で飾ってあげたいというティフォージの願いも込められた大切なシーズンだった。
そんな中で突然起きた裏切りにも近い移籍劇。この出来事に多くのユベンティーニが肩を落とした。
実際ボヌッチの抜けた穴は強がりで誤魔化せるほど小さくなく、最終ラインからのビルドアップの質は明らかに低下した。このシーズンはメディ・ベナティアやダニエレ・ルガーニの台頭でなんとか乗り切ってはいたが、欧州の舞台で格上と対戦するときなどにはやはり彼の不在を嘆く者もいた。

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そしてもう一つ。バルザーリの加齢による衰退だ。
ディフェンスの要として長年チームを支えてきたバルザーリだったが、今やもう37歳。低下してしまった運動量や機動力はなんとかその豊富な経験値によってカバーしてはいるが、90分間をフルで戦えるほどのコンディションになく主に試合終盤に投入され守備を固めるクローザーとしての役回りが増えてきた。
それでも要所では「さすが」と思わせる素晴らしい守備を見せたりと未だアッレグリにとって重要な選手の1人として数えられている。

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この夏、クラブが2018年の夏で契約が満了となるキエッリーニと共に契約延長を発表したことも彼への信頼の表れだろう。前者は2020年まで、後者は2019年までの新契約にサインし新たなシーズンを迎える覚悟を決めた。
そしてクラブはもう一つの契約をある選手と結んだ。
そう、ボヌッチだ。
前年ライバルクラブであるミランに移籍し、「裏切り者」のレッテルを貼られた彼を再び買い戻したのだ。
当初は驚きの電撃復帰に困惑するティフォージも多かったが、彼の足下の技術は確かにチームに不足していたものであり、キエッリーニやバルザーリと長年コンビを組んだ彼なら適応するのにもそう時間はかからないという判断だろう。

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「ここに戻ってくることができて嬉しい。以前からのチームメイトや新しい仲間たちと共に新たな冒険に臨めることに興奮しているよ」
この若干の図々しさも彼らしいといえば彼らしい。何はともあれ間違いなくこの補強はユベントスがビッグイアーを狙う上で大きな戦力アップとなるはずだ。
1年の時を経てこれで再びユベントスの象徴でもあったBBCが揃うこととなった。

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しかし、これが恐らく彼ら3人が揃う最後のシーズンとなるだろう。
バルザーリが延長した契約は1年間。そもそも昨シーズンでの引退もにわかに囁かれていたほどであり、彼の年齢も考慮すればそう考えるのが妥当だ。
今シーズンの基本システムは恐らく[4-3-3]、もしくは[4-2-3-1]。つまり4バックだ。このシステムで起用される2枚のセンターバックは恐らくキエッリーニとボヌッチがファーストチョイスとなるだろう。
BBC3人が揃ってピッチに立つ姿があと何回見れるかはわからない。控えにはベナティアやルガーニら頼もしい後輩も育っている。
それでもやはり長年ユベントスというクラブに魅せられてきた1人のファンとしては彼ら3人が同時にピッチに立つ姿をあと少しでいいから見てみたい。途中出場でも構わない。7連覇という偉業の礎を築いた彼らの姿をあと少しだけ。
ふとボヌッチがミランへと旅立ったときのキエッリーニの言葉が蘇る。
「全てのものはいつか終わりを迎えるもの。もちろん僕は引退するまで3人で守備をやっていくつもりだった。だけど、どんなことでもそのうち慣れるものさ。僕やバルザーリ、ブッフォンだってその内は引退するんだからね」
そう、例えどんなに立派に育った大樹でもやがては枯れ朽ちていくように、物事には必ず終わりがやってくる。それは彼らとて例外ではないのだ。
バルザーリが、そしてBBCが紡いだ物語も遂に最終章を迎えた。彼らがこれから描くその物語の1ページ1ページをしっかりと脳裏に焼き付けながらこの1年を共に歩んでいきたい。
Fino alla fine、最後までしっかりと。

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コラム : 去りゆくバンディエラへ愛を込めて、ユヴェントスの象徴クラウディオ・マルキージオとの別れ

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「出会いの数だけ別れがある」
これは例え天地がひっくり返ったとしても覆ることのない世の道理だ。
2018-19シーズンを控えたこの夏、ユベントスはフットボール界のアイコン、クリスティアーノ・ロナウドを筆頭に多くのスター選手を獲得した。
しかし、誰かが来れば誰かが去っていくのが現代のフットボールの世界というもの。例えどれだけファンに愛されていた選手であろうが、どれだけクラブのために長年尽くした選手であろうがそれは例外ではない。
現在のユベントスの誇るセリエA7連覇という偉業。この始まりを築いた彼らは愛するクラブとの別れを惜しみながらも新たな挑戦のためにトリノの街を去っていった。

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そしてセリエA開幕を目前に控えた8月17日、プリンチピーノ(“小さな王子“の意)の愛称で親しまれたユベントスのバンディエラ、クラウディオ・マルキージオもまた25年間というとてつもなく長い時間を過ごしたクラブを去る決意を固めた。
「ぼくはフットボーラーとしての人生をこの縦縞のユニフォームに捧げてきた。このユニフォームが何よりも大好きだ。このチームが優勝し続けることを信じている。いつまでも」

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涙が止まらなかった。
ユベントスで育ち、ユベントスのために全てを捧げた彼の退団を未だに受け入れたくない自分がいた。
2015-16シーズンのパレルモ戦で負った左膝前十字靭帯の大怪我、あれが全てだったのかもしれない。
本来のポジションから1列下げ、名手アンドレア・ピルロの後を引き継ぎレジスタとしてチームを牽引していくと思われた矢先の大怪我。復帰には半年近くの時間を要した。
復帰後もコンディションは中々上がらず翌年には同ポジションにミラレム・ピアニッチ、その翌年にはロドリゴ・ベンタンクールの加入によってチーム内の序列はどんどん下がっていった。

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それでも彼は腐らなかった。
トレーニングには常に全力で励み、限られた出場機会でも鮮やかなロングフィードを見せたりと技術の高さをアピールし続けた。
それだけでなくメンタル面でも彼はチームを支えてくれた。
印象的だったのは昨季のUEFAチャンピオンズリーグ・準々決勝1st leg・レアルマドリー戦の後。ホームで0-3の敗北に加え、エースのパウロ・ディバラが退場処分によって2nd leg出場停止となったあの試合の後のことだ。
絶望的な状況で2nd legを控えたユベントス。多くのメディアからも「逆転は不可能」と言われファンの間でも諦めムードが蔓延していた中でマルキージオは語った。
「非常に厳しい状況だがチャレンジするために全てを出し尽くす。何故ならぼくらのメンバーに『もう終わった』と考えている者はいないからだ」

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正にユベントスのスローガンでもある「Fino Alla Fine(最後まで)」を体現した言葉だった。
例えどんなに最悪な状況でも自分よりもチームのことを最優先に考える。選手として、そして1人の人間として模範となる男だった。
今までも何度も移籍の噂はあったが、彼はいつも笑ってそれを一蹴しファンを安心させてきた。
「Sometimes, no words needed.(時には言葉は必要ないだろ)」

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その一言と共に胸に輝くユベントスのエンブレムを叩く写真を載せた彼の投稿を見たときは心にグッとくるものがあった。
ヴィノーヴォの練習場で現地のユベンティーニがフロント陣に向けて「マルキージオに触るな。キミはおれたちと一緒にいてくれ」と書かれたバナーを掲げたエピソードからも彼がどれだけファンに愛され、どれだけクラブにとって重要だったかが理解できるだろう。
しかし、ユベントスというクラブで1人のフットボーラーとして生き残っていくには分が悪すぎた。
前述した怪我からのコンディション不良、加齢と出場機会の少なさから生じた走力の低下に伴う守備への貢献度の低下。
緻密な守備組織を構築するマッシミリアーノ・アッレグリ監督にとってこれは彼を試合に出せない充分すぎる理由となってしまった。
今日、ユベントスは悲願となるCL優勝に向けて本気でチームを改革しようとしている。

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マーケティング面を考慮した2017年のクラブエンブレム変更に始まり今夏のロナウド獲得。有望な若手を犠牲にしてまでも行われたワールドクラスの選手の補強。クラブは着々とビッグイアー獲得のための布石を打っている。
ユベントスのことを誰よりも理解しているマルキージオだからこそ、クラブのプロジェクトを理解し、チーム内で序列の落ちてしまった自らの立場を受け入れビアンコネロのユニフォームを脱ぐ決意を固めたのかもしれない。
「感情論だけで物事を語るのは甘い。ただ好きなだけでは勝てない」
たしかにそうかもしれないが、ファンというのは大好きな選手たちと共に多くのものを勝ち取りたいと思うのが普通なのではないだろうか。

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ただ勝つためだけに私情を挟まず上を目指すだけなら、そんなのは機械にでも応援させていればいい。
もちろん今回のユベントスの改革を否定しているわけではない。クラブの出した声明やマルキージオ本人のコメントを見ればこの決断が身を切る思いだったのも伝わってくる。
だからこそ、悲願の欧州制覇の夢を中途半端な形で決して終わらせないでほしい。あと一歩届かなかったビッグイアーをなんとしても獲得してほしい。
それが我々ユベンティーニの願いであり、同時に義務でもあると思っている。
何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない。常にクラブのことを第一に考えて行動していたマルキージオとの別れ。今はとても辛いし、受け入れるのにも多大な時間を要するだろうがこれも噛み砕いて次に進んでいかなくてはならない。
25年間というとてつもない時間をビアンコネロに捧げてくれたバンディエラに極東の地より愛を込めて。

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Grazie Claudio, Buona Fortuna.
コラム:人生を変えた指揮官との出会い、フアン・クアドラードの覚醒

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“ゆるキャラ”という言葉が流行ったのはもう何年か前の話か。「ゆるいマスコットキャラクター」を略した言葉で地域おこしのためなどに名産品などをPRするアレのことだ。
イタリア・セリエAで前人未踏の7連覇を成し遂げた常勝軍団ユベントスにもゆるくてかわいらしい愛されキャラの選手がいる。ロシアW杯で日本の対戦国の中心選手として注目されていたことでもお馴染みのコロンビアの韋駄天フアン・クアドラードだ。
ラテンの陽気なノリと無邪気な笑顔で場の雰囲気を和ませ、時に珍プレーなどを見せることもあるが、胸の内には熱いハートを持っておりハードワークを厭わない。持ち前のスピードと運動量で右サイドを駆け回り、時にはオプションとしてサイドバックまでこなす彼は指揮官のマッシミリアーノ・アッレグリ監督からも確かな信頼を寄せられている。
そんなクアドラードだが、かつてはお世辞にも戦術理解度が高いとは言えず直感だけでプレーするタイプのチームのメカニズムに組み込みづらい選手だった。
若手の発掘に定評のあるウディネーゼにその才能を見出され、レッチェへの武者修行の旅を挟み、イタリアの古豪フィオレンティーナへとレンタル移籍。加入1年目となる12-13シーズンには公式戦40試合に出場し5ゴール7アシストを記録。持ち前の身体能力を活かした勢いのあるプレーで攻撃の中心となりチームの4位フィニッシュに貢献を果たした。

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翌年も43試合で15ゴール11アシストとウインガーとしては充分な結果を残すとフィオレンティーナは買い取りオプションの行使に踏み切ることに。ウディネーゼから完全に保有権を買い取り、晴れてクアドラードは正式にフィオレンティーナの選手となった。
また、同年にはコロンビア代表としてブラジルW杯に参戦。主力として出場するとコロンビア史上初のベスト8に貢献し、世界中のフットボールファンの注目を集めた。
迎える14-15シーズン、W杯での活躍もありバルセロナやバイエルン・ミュンヘンなど数多くのビッグクラブへの移籍の噂が取り沙汰されたが最終的にフィオレンティーナ残留で決着。同クラブの一員としてシーズンを戦うことが決定した。
しかし、冬の移籍市場でイングランド・プレミアリーグの強豪チェルシーからオファーを受け移籍金3100万ユーロ(約40億円)+フィオレンティーナへのモハメド・サラー(現リヴァプール)の半年間の無償レンタルという形で契約は成立。慣れ親しんだフィレンツェの街に別れを告げる決意を固めた。

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しかし、万物は流転するというのが人生の常というもの。ここまで順風満帆なキャリアを送ってきたクアドラードだったが、彼のサクセスストーリーもここで暗礁に乗り上げることになる。
当時チェルシーを指揮するジョゼ・モウリーニョ監督の志向するサッカーに適応することが出来ず、やがて構想から外れてしまい満足のいく出場機会を得ることのできないままバルセロナから加入したペドロ・ロドリゲスに押し出される形でわずか半シーズンでユベントスへとレンタルに出されることになってしまった。
当時のクアドラードは自身の調子がいいと判断すれば、ボールを繋げばいい状況でも無理に突破を仕掛ける嫌いがあり、恐らくそれが完璧主義のモウリーニョには快く思われなかったのだろう。
「トーレス以降最低の補強だ」
サポーターの間ではかつてリヴァプールで活躍しチェルシーへと移籍したものの結果を残すことの出来なかった元スペイン代表のフェルナンド・トーレスを引き合いに出してこう罵る者までいた。
15-16シーズン、トップ下タイプの選手を求めていたユベントスは当時シャルケに所属していたユリアン・ドラクスラーを獲得寸前のところで逃していた。そしてそのタイミングでのウインガーであるクアドラードの加入であったためにサポーターの間ではその反動も相まってあまり歓迎ムードではなかった。

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ユベントスを率いるアッレグリは戦術家として知られ、この指揮官の下で戦術理解度の低いクアドラードがチームにフィットできるのかという疑問もたしかにあった。
たしかにチェルシー時代、戦術的な話をしているモウリーニョの側で頭上に?マークが浮かび上がったような表情を浮かべていた彼を知っていればサポーターの間に不安が生じるのも理解はできる。
案の定デビューシーズン当初は個人でのプレーに走りがちで、守備にも難があった。しかし、そんな彼にでさえ自身のメカニズムを落としこんでしまうのがアッレグリの名将たる所以だ。あのモウリーニョですらお手上げだったクアドラードには試合を重ねる毎に守備意識が芽生え始め、周囲との連携も徐々に構築されていった。
サイドバックのステファン・リヒトシュタイナーの上がるスペースを生み出すために内に絞ったり、パウロ・ディバラが右に流れた際にはトップ下の位置まで進出したりと、かつてのスピードを頼りに強引に仕掛けるだけの凡庸なイメージは徐々に払拭されていった。
同シーズン、最も印象的なプレーを挙げるとすればUEFAチャンピオンズリーグ・決勝トーナメント・ラウンド16のバイエルン・ミュンヘン戦のゴールだろうか。
自陣でボールを奪ったサミ・ケディラのパスを受けたアルバロ・モラタが凄まじいドリブルでファイナルサードまで駆け上がってラストパスを送り、これを受けたクアドラードがシュートブロックに飛び込んできたバイエルンの主将フィリップ・ラームを嘲笑うかのように冷静にキックフェイントでかわし、マヌエル・ノイアーの守るゴールの右隅に突き刺したあのシーンだ。

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「ユベントスと共に再びフットボールの世界で主役になれることをとても幸せに思うよ。ここで僕は満足している。セリエAでは上手くやれていると思うし、本当に快適に感じているよ」
アッレグリの指導の下、柔軟性を身につけたクアドラードは世界でも屈指のサイドアタッカーへと変貌を遂げた。
1年間のレンタル期間を終えて彼はチェルシーに復帰。同クラブの新監督であるアントニオ・コンテはユベントス時代からクアドラードの獲得を望んでいたために再びイングランドの地でリベンジを果たすものと見られていた。
しかし、本人はユベントスへの復帰を懇願。彼の母親がロンドンでの生活に適応できず体調が優れていなかったこともあり、チェルシー側は彼の希望を受け入らざるを得なかった。
そうして夏の移籍市場最終日に買い取りオプション付きの3年間のレンタルでユベントスへの再加入が決定した。

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「自分の家に再び戻り、仲間たちと全てを求めて突き進むことが出来ることを神に感謝している」
自身のSNSでそう語ったクアドラードは再びビアンコネロのユニフォームに身を纏うこととなった。
また、16-17シーズンのCL決勝レアル・マドリー戦を前にユベントスは買い取りオプションを行使。2020年までの3年契約を結んだ。
難しいゴールは決めるのに簡単なシュートを外すのはご愛嬌。サイドを物凄いスピードで駆け上がり逆サイドでプレーするマリオ・マンジュキッチのゴールを演出するホットラインも円熟味を帯びてきた。
今季から加入したフットボール界のアイコン、クリスティアーノ・ロナウドに自身の背番号である7番を快く譲渡したエピソードも記憶に新しい。
一部報道によればアッレグリの残留が決定した際には本人も新契約にサインする準備が出来ているとのことで、指揮官との信頼関係も抜群だ。
今ではユベンティーニの間でも毎年の楽しみの1つとなりつつある、タイトル獲得が決定した瞬間にアッレグリに飛びかかりバニシングスプレーで頭部を真っ白に染め上げる恒例行事を叶うことなら向こう数年間見続けていきたいものである。

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迎える新シーズン、チームは前線にロナウドを加えより強力なスカッドが出来上がりつつある。無論ポジション争いも熾烈を極めることになるだろう。その中で昨季はサイドバックなどにもトライしたクアドラードがどんなプレーを見せてくれるのか楽しみで仕方がない。