コラム : さらなる高みを目指して、ヴォイチェフ・シュチェスニーの決意

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  森林伐採を終えて、立派に育った成木の切り株や根元からは蘖(ひこばえ)と呼ばれる新たな命が芽吹く。それはやがて成長し、より逞ましい樹木となる。


  偉大な先人たちが築いた歴史あるクラブ、ユベントス。この白と黒で染められた樹々の群れは、そのひとつひとつが立派な大樹として生涯を全うした後、次の世代へとバトンを渡し、新たな芽が育つための環境を作り上げていく。


  昨季終了後、ジャンルイジ・ブッフォンクラウディオ・マルキージオらビアンコネーロを象徴するジョカトーレがクラブを去っていった。


  彼らは一人の選手として、そして一人の人間として模範的な態度を示し、“Fino alla fine”の精神を次世代へと伝える役目を果たした。


  その薫陶を受けた今季のユベントスは、クラブレコードを記録するほどの驚異的なペースで勝ち点を積み重ねている。


  敗北や引き分けが濃厚なゲームでも試合を諦めず、最後には強引に勝ちを引き寄せるその姿勢は紛れもなく先人たちの遺したそれの賜物だろう。


  そんなチームの中で、偉大なるカピターノ、ジジ・ブッフォンの後を引き継ぎ今季から正守護神を務めるのがポーランド代表のGKヴォイチェフ・シュチェスニーだ。


  17年間を老貴婦人(ユベントスの愛称)に捧げた前任者の後継となることに少なからずプレッシャーを受けることも懸念されたが、本人は「僕はネクスブッフォンにはなれないよ」と謙虚な姿勢を見せる。


  「僕がなれるのはユベントスの新しい背番号『1』ということだけさ。そしてゴールに飛んでくるボールを止めることだけだよ」


  そう語るシュチェスニーブッフォンの幻影に囚われることなく、自身の最善を尽くした新たなる背番号「1」の像を築きあげようとしている。


  冷静なポジショニングと飛び出しの判断、そして安定したセービング能力を兼ね備える彼はリーグでも屈指の実力者と言っても過言ではないだろう。


  そんなシュチェスニーの才能は母国の強豪レギア・ワルシャワによって見出され、そしてイングランドの雄アーセナルによって磨かれた。

 

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image@Central Telegraph


  2006年、ロンドンに居を構えるこのクラブに入団し、下部組織やリザーブチームで経験を積んだシュチェスニー。その活躍はやがて首脳陣の目に留まり、2008/09シーズンの最終節・ストーク・シティ戦にはトップチームにも招集されるなど着実に成長を遂げる。


  翌年、当時イングランド3部を戦うブレントフォードに半年間のレンタルで加入。移籍当初は降格も濃厚とされていたチームだったが、半年後には9位でシーズンを終え、その快進撃の立役者となった。


  そしてレンタル期間を終えた2010/11シーズン、チャンス行きの列車は彼の前に突然やってきた。


  アーセナルに復帰したシュチェスニーはウカシュ・ファビアンスキ、マヌエル・アルムニアらの控えとしてトップチームの第3GKとしてベンチを温める時間が続いた。


  しかし、両GKの負傷によって出場機会が回ってくると、そこから安定したパフォーマンスを披露。レギュラーに定着することとなった。


  そして翌年、アルムニアが退団した後は背番号「1」を託されるなど周囲からの信頼を実力で勝ち取って見せた。


  「シュチェスニーには判断力、俊敏性、鋭さが備わっている。以前から優秀な選手ではあったけど、彼は賢くて経験したことをすぐに習得してしまうんだ」


  「信頼していただけに彼が成長して、非常に強力なGKになってくれてとても満足しているよ。プレミアリーグでもトップ5に入るGKであると誰も疑わないだろうね」


  そう太鼓判を押すのは22年間アーセナルの指揮を執った若手抜擢に定評のあるフランスの巨匠、アーセン・ヴェンゲル氏だ。当時20歳だったこの逸材を信頼し、ピッチに送り出した同氏の英断は彼の才能により一層の磨きをかけることとなった。

 

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image@Daily Express


  しかし、上手くいっているときこそ勝って兜の緒を締めなければならない。成功を収めているとき、人というのは油断をしてしまう生き物なのかもしれない。


  当時24歳だった彼は、大きな過ちを犯してしまう。


  2014/15シーズン、プレミアリーグサウサンプトン戦に敗れた後、ロッカールームにてシュチェスニーの喫煙している姿が目撃された。


  もちろん喫煙という行為が法に触れているわけではないが、スポーツマンとしての振る舞いとして、それは褒められたことではない。


  この行動を問題視したクラブは彼に罰金を課し、さらにこの年に新加入したダビド・オスピナにレギュラーの座を奪われてしまうこととなった。


  また、この一件をキッカケに指揮官との確執も噂されるなど周囲の状況は一変した。そのうえ、翌年にアーセナルチェルシーからワールドクラスのGKペトル・チェフを獲得。


  シュチェスニーはこの2人の実力者に押し出される形でローマへとレンタル契約で旅立つこととなった。

  

  しかし、彼は恩師との不仲説を否定し、自身の犯した過ちから目を背けることなく向き合い、前を向く。


  「ヴェンゲルを恨んだことは一度もないよ。彼は僕の恩人なんだ。ロッカールームで喫煙したことは事実だけど、僕は自分の過ちについて責任をとってきたし何も問題にはなっていないよ」


  「誰もが僕が過ちを犯したことを知っている。でも僕は結果を受け入れてきた。ヴェンゲルはいつも僕にはっきりとした態度をとってきたし、僕は誠実な人間が誠実な扱いをされるべきだと信じている」


  過去と向き合い覚悟を決めたシュチェスニーは、レンタル先のローマでリーグ戦全試合に出場し安定したパフォーマンスを披露。チームのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権獲得に大きく貢献した。

  

  さらに、2年目となる2016/17シーズンもリーグ戦フル出場を記録。このイタリアの名門のゴールマウスに君臨し続けた。

 

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image@101 Great Goals


  一方、ブッフォン退団の噂もにわかに囁かれていた当時のユベントスは、その後継に相応しい器を探している最中、ライバルクラブで異彩を放つこのポーランド代表GKに関心を寄せ、正式にオファーを提示することを決意する。


  ユベントス首脳陣はローマとは異なり、レンタルでの獲得ではなく完全移籍での獲得を希望した。つまり、このオファーを彼が受け入れることは、11年間という長い時を過ごした愛するクラブ、アーセナルを退団することを意味する。


  それでも彼は自身の成長のため、まだ見ぬ高みへと歩みを進める覚悟を決めた。


  「人生における新たなチャレンジのため、この素晴らしい思い出とたくさんの経験を携えて、僕は一歩を踏み出す」


  「全ての試合に勝利したい。そう思ってここに移籍することを決めた」


  自身にとって“特別なクラブ"との別れを惜しみつつも、新たな環境に身を投じることに意気込むシュチェスニーは、ユベントス在籍1年目となる2017/18シーズン、ブッフォンの控えという立場ながらリーグ戦17試合に出場。


  キャリア晩年となるカピターノの負担を減らし、7年連続となるスクデット獲得の大きな原動力となった。

 

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image@BBC


  「例え第2GKだったとしても、今までのキャリアの中で最高のシーズンとなったよ。なんたって最高のレジェンドから学ぶ機会を得たんだからね」


  当時のブッフォンと過ごした日々を懐かしむ彼は、今季からこの偉大なるカピターノが身につけた背番号「1」を継承し、ビアンコネーロの正守護神の座に就く。


  「彼の次にゴールを守ることは簡単なことではないと思っている。不用意なミスなんて出来ないしね。でも、そんな気持ちではユベントスのGKは務まらないよ」


  「全力を尽くし、相手に得点を許さない。それこそが今自分がするべきことだ」


  かつて愚行を犯し、チームでの居場所を失った頃の未熟なメンタリティは今やもう、その芯までもが白と黒色に染まっている。


  今季初黒星を喫したCLグループステージ第4節・マンチェスター・ユナイテッド戦の出来事がいい例だ。


  シュチェスニーは相手方のOBに"チーム唯一の弱点"と揶揄され、非難の的となった。


  それでも、その4日後に行われたセリエA第12節・ミラン戦ではゴンサロ・イグアインのPKをストップし自軍の勝利に貢献。


  周囲の"雑音"を口を開くことなく、結果を出すことで掻き消してみせた。

 

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  無論、これまでの彼のプレーを見てきたティフォージであれば、シュチェスニーがチームの弱点ではないことなど重々承知しているだろう。


  実際、ネット上ではこの「弱点」発言に抗議する声も散見された。


  それでもこの発言に言及することなく、行動で自身の存在価値を証明してみせたミラン戦でのパフォーマンスからは漢気を感じずにはいられない。


  ゴールキーパーというのは、たったワンプレーで「勝利を呼び込む英雄」にもなり得るし、対照的に「敗北のきっかけを生んだ戦犯」にもなり得る難しいポジションだ。


  競争の激しいプロの世界ともなれば、その肩にかかるプレッシャーの程は想像に難くないだろう。


  そんな重圧と日々戦いながら、彼らは今日を生きている。


  1年前、フットボールの歴史に名を残すレジェンドに背中を任されたこのユベントスの新たなる背番号「1」は、前任者から多くのもの学び、そして受け継ぎ、さらなる高みへと一歩を踏み出した。

 

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  生ける伝説、ジジ・ブッフォンの残した小さな蘖は、色鮮やかな青葉を揺らしながらすくすくとその丈を伸ばし、青空へ向かって上へ上へと立派に成長を続けている。

コラム : 涙

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  憧れ、期待、羨望。それらは時に計り知れないほどの重荷となって人に襲いかかる。

 

  2018-19シーズンが開幕してから1ヶ月、例年よりもベンチを温める時間が増えたアルゼンチンの“宝石”パウロ・ディバラを苦しめていたのは恐らくそれだ。

 

  代表チームではリオネル・メッシと、所属クラブではクリスティアーノ・ロナウドと。「世界最高」の評を二分するフットボール界のスーパースター2人とプレーすることを許された世界でも数少ないプレーヤーであるディバラは次世代のバロンドール候補の筆頭として世界中のフットボールファンから期待を寄せられている。

 

  また、ユベントスの選手としてかつてロベルト・バッジョアレッサンドロ・デル・ピエロら偉大な英雄たちが背負ってきた栄光の背番号「10」を任された彼は、その端整な顔立ちも相まってティフォージから絶大な人気を集めている。

 

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  得点力も高く狭いスペースでも巧みなボールタッチで相手のディフェンスラインを流れるようにスルスルと抜けていくその彼の才能に疑問を持つ者など、この広い世界のどこを探しても見つからないだろう。

 

  しかし、傑出した才能をただ並べれば試合に勝てるほどフットボールというのは単純なものではない。選手それぞれの特徴を活かした配置や戦術など、様々な要素が絡み合って初めてチームというものは成り立つのである。

 

  「メッシとの共存は難しい」

 

  こう評したのは前アルゼンチン代表監督のホルヘ・サンパオリだ。彼は誰もが認めるスーパースターのメッシを中心としたチームを作りあげW杯ロシア大会に臨んだ。彼の選んだ23人の中にはもちろんディバラの名前もあった。

 

  しかし、ディバラの出場時間はグループステージ第2戦のクロアチアとの試合で後半からプレーした約20分のみとごく僅かなものとなった。

 

  「ディバラとメッシの関係性を築く時間が今はない。それよりももっと他の部分を詰めるべきだ」

 

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  そう話し、2つの偉大な才能は混じり合うことなく大会は幕を閉じた。皮肉にもアルゼンチンはフランスとの壮絶な打ち合いの末、僅か1点の差でひと足先に大会を去ることになるのだが。

 

  そして代表チームでの活動が一旦終わり、ユベントスの選手として新たなるシーズンに臨むディバラは今度はこの夏に新たにチームに加入したもう1人のスーパースター、ロナウドとの共存を求められることとなった。

 

  開幕戦は[4-2-3-1]のトップ下として先発し、可もなく不可もなくといったパフォーマンス。しかし、それだけでは現在のユベントスでレギュラーの座を掴むのは難しい。

 

  指揮官のマッシミリアーノ・アッレグリは例えスター選手であろうとコンディションの上がっていない選手を試合に使うことはしない。練習でしっかりと自身をアピールし、準備ができている者だけをピッチに送り出す監督だ。

 

  未だコンディションの上がりきっていなかったディバラは続くラツィオ戦、パルマ戦と先発に名を連ねることはなく、チームが基本システムをトップ下を置かない[4-3-3]へと固めていくその過程で彼は徐々に出場時間を減らしていった。

 

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  しかし、もしこれで彼が腐るような選手であったのなら彼は現在欧州の頂きを目指して邁進するクラブでエースナンバーである背番号「10」を託されてなどいなかっただろう。

 

  リーグ戦3試合を終えて代表ウィーク迎えた9月。ディバラは代表チームの活動のため他の選手たちと同様チームを離れた。そして親善試合のコロンビア戦の後、メディアにコメントを求められた彼はこう語った。

 

  「ぼくはユベントスに戻って次の試合の準備をする。UEFAチャンピオンズリーグバレンシア戦も控えているし、万全の準備をしなければいけない」

 

  彼は先を見据えながら「ぼくらは常にベストを尽くす必要がある。シーズンは長いんだからね」と続け、ただ前だけを向いていた。

 

  世の中というのは不思議なもので、例え努力が結果に現れなかったとしても、その努力を見てくれている人間は必ずいる。

 

  代表ウィーク直前のパルマ戦で最後の15分だけプレーしたディバラを指揮官はちゃんと評価していた。

 

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  「パウロは15分という時間の中で多彩なアプローチをしていたね。私は非常に満足しているよ。彼がこれまでプレーしなかったのは技術面やフォーメーションによる選択だ。彼の持つクオリティーに疑いの余地はないよ」

 

  そう語ったアッレグリは次節のサッスオーロ戦でディバラを先発させた。スタート位置は右のウイングだが、前線のマリオ・マンジュキッチ、そしてロナウドと流動的にポジションを入れ替えながら攻撃に絡みチームの勝利に貢献した。ただ、ゴールだけは遠かった。

 

  続くCLバレンシア戦はサッスオーロ戦で負った左足の負傷の影響もあってか先発からは外れ、ベンチで試合の様子を見守ることとなった。この試合は前半の早い時間帯でロナウドが疑惑の判定で退場処分を受けた影響もあり、安易に攻撃的な布陣に変更することは出来ず出番は回ってこなかった。

 

  また、この試合で先発したシーズン開幕から好調を維持する俊英、フェデリコ・ベルナルデスキはこの日も最高のパフォーマンスを見せチームの勝利に貢献した。

 

  今シーズン未だゴールから遠ざかっているディバラの目に同い年の同僚の活躍がどう映っていたかは想像に難くないだろう。

 

  続く第5節のフロジノーネ戦、ディバラはトップ下としてフル出場を果たした。やはり彼は中盤と前線を繋ぐリンクマンのような動きに長けており、適正ポジションは右サイドではなく“ここ”であるように思えた。

 

  前線を自由に動きまわり味方のパスを受けてはチャンスに繋がるパスを出し、時には味方のビルドアップの助けとなるために中盤まで下がって新たなパスコースを提供する。この日のパフォーマンスも上々のものではあった。

 

  ただ、この日もゴールを奪ったのは途中出場のベルナルデスキだった。

 

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  攻撃的なポジションでプレーする選手というのはやはりどうしてもゴールという目に見える結果を求められてしまう。そしてティフォージもそれを求めてしまう。その点ではベルナルデスキの方に分があった。

 

  心なしか、近頃のディバラのプレーからは焦りのようなものを感じることが時々あった。

 

  「今シーズンの布陣の最適解は[4-3-3]、ディバラのポジションはない」

 

  そういったメディアやネット上の声が彼をそうさせてしまっていたのかもしれない。

 

  そんな状況の中で迎えたボローニャ戦。過密日程をこなさなければならないユベントスはいつもと布陣を変えて[3-5-2]の陣形を採用した。ディバラは2試合連続の先発出場。ロナウドと2トップを組む形で試合に臨む。

 

  すると前半が始まって間もない頃、レオナルド・ボヌッチからため息の出るほどの鮮やかなロングフィードが放たれた。それに誰よりも速く反応したのがディバラだった。

 

  彼は宙に浮いたボールを横を並走していたチームメイトのブレーズ・マテュイディへと頭で落とす。そしてマテュイディが右足を振り抜く。それは相手ゴールキーパーの腕に当たり再び宙を舞い、ディバラの目の前に落ちていく。

 

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  彼はそれが地面に落ちるのを見届ける前に利き足とは逆のもう一方の足で豪快に叩いた。

 

  アリアンツ・スタジアムが一斉にどよめいた。

 

  どんなに不恰好でもいい。泥臭くたっていい。正真正銘、これが紛れもないパウロ・ディバラの今シーズン初ゴールだ。

 

  彼は顔がしわくちゃになるぐらいにグッと顔に力を入れ、握っていた拳で見えない天井を思いっきり突き上げるかのように大きなガッツポーズをして喜びを爆発させた。

 

  今までの彼にとってはこれまで挙げてきた数ある得点の内の一つに過ぎないものだったかもしれない。しかし、今シーズンの彼にとっては自身を縛り付けていた重圧を振りほどくには大き過ぎる一点だった。

 

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  彼のゴールを祝うために集まったチームメイトたちに囲まれ、堪えていた涙が溢れ出る。

 

  「ヌメロ ディエーチー!!! パウロー!!!」

 

  スタジアムDJの声が響き渡りティフォージがそれに応える。

 

  「ディーバラー!!!!」

 

  トリノの郊外にあるこの建物を熱狂的な歓声と温かい拍手が包み込んだ。まるで、重圧から解放された彼に「おかえり」と言うように。

 

  試合後、ディバラはこう話す。

 

  「ぼくはチームのために常にベストを尽くしてやってきた。これまでも悪い試合はなかったとは思う。ただ、得点が足りなかったんだ。多くのユヴェンティーニからそれを求められていたことはわかっていたよ」

 

  彼は一点の曇りもない笑顔で続ける。

 

  「今夜の得点はぼくに自信を与えてくれるものになるだろうね」

 

  彼を縛りつけていたプレッシャーという名の鎖は既にちぎれ、この日流した涙と共に全て外へと流れ出た。彼を抑えつけるものはもう何もない。

 

  "La joya"(西語で"宝石"の意)と称されるこのダイヤモンドの原石はまだまだ輝き始めたばかりだ。

 

  彼がいつか真の輝きを放つとき、ユベントスは悲願であるビッグイアーを獲得することができるだろう。

 

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  パウロ・ディバラの冒険はまだまだ続く。



コラム: いざ、最終章へ、いぶし銀トリオが紡いだ波瀾万丈物語

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  「三位一体」とはキリスト教の世界において父・子(イエス)・精霊の3体が独立性を持ちながらも1体の神であるという教えの事であり、3つの別々の要素が1つのもののように固く結びつくことを意味する。

 

  今シーズンからフットボール界のアイコン、クリスティアーノ・ロナウドを新たに迎えたことで世間からも注目を浴びているイタリア・セリエAのクラブ、ユベントスには正に“鉄壁”とも呼ぶべき1つの壁を形成する3人の戦士たちがいる。

 

  1人は一度は同国のライバルクラブに鞍替えするも批判を覚悟で戻ってきた実力は折り紙つきのディフェンスリーダー。1人はピッチに迷い込んだテントウムシを助け出すなど優しい心と分厚い胸板を併せ持つタフガイ。そしてもう1人は今シーズンからジャンルイジ・ブッフォンの後を引継ぎキャプテンとしてチームをまとめる闘志溢れるプレーが持ち味の熱血漢。

 

  彼らは「前人未踏の7連覇」というユベントスが紡いだ壮大な物語の序章を知る数少ない男たちであり、レオナルド・ボヌッチアンドレア・バルザーリジョルジョ・キエッリーニ、彼ら3人のイニシャルを合わせた“BBC”と呼ばれるディフェンスユニットは世界一堅固な壁として数多のアタッカーの前に立ちはだかってきた。

 

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  ユベントスは2010-11シーズンまではオーソドックスな[4-4-2]システムを使用していたが、7連覇の始まりとなる2011-12シーズンからは新たに指揮官として就任したアントニオ・コンテ監督によって[3-5-2]システムが導入されることとなった。

 

  これは同シーズンにACミランからやってきた稀代の天才レジスタアンドレア・ピルロを活かすためのシステムである。これに伴い後衛のバックラインは以前までの2人のセンターバックと2人のサイドバックから形成される4バックから3枚のセンターバックを並べる3バックへと変更されることとなった。

 

  同年、このシステム変更が功を奏しセリエA史上2チーム目となる無敗優勝という偉業、ならびに6年ぶり(カルチョーポリで取り消しにされた分を含む)となる悲願のスクデット獲得に成功する。そして、驚くべきことに同シーズンで戦ったリーグ戦38試合の内20試合でクリーンシート(無失点試合)を達成させている。

 

  また、シーズンを通しての失点数はたったの20。これはリーグ最小で1試合平均約0.5と驚異的な数字となっている。そしてこの堅守を支えたのが前述した3人のセンターバックボヌッチバルザーリキエッリーニだ。

 

  そう、後にBBCと呼ばれることとなる3人である。

 

  当時ミスの多かったボヌッチは3バックの中央に起用され始めてから徐々に安定感を増し、相手の動きを読んだ鋭いインターセプトや空中戦の強さを武器にチームのため奮闘した。

 

  バルザーリは優れた危機察知能力を持ち合わせ、カバーリングの技術に長けておりラインの上げ下げの判断も的確。ディフェンスの主軸としてフル稼働し守備の要として躍動した。

 

  キエッリーニはシーズン開幕前こそプレシーズンマッチなどで不用意なミスなどが目立ち批判を浴びていたが、対人守備の強さや気迫のこもった守備で敵のアタッカー陣を封じ込み、シーズンが終わってみれば「ユベントス復活の象徴」などと賞賛を浴び周囲からの評価を一変させた。

 

  このイタリア人トリオは代表チームでも苦楽を共にし、ゴールキーパー兼キャプテンを務めるブッフォンらと共にクラブ、イタリア代表の両チームで長きに渡り鉄壁を築きあげた。

 

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  そして、彼らの連携はシーズンを重ねるごとに円熟味を増していき2連覇、3連覇と国内で圧倒的な強さを誇る老貴婦人(ユベントスの愛称)の顔として最終ラインに君臨し続けた。

 

  ボヌッチが卓越したパスセンスでゲームを作り、キエッリーニが機を見てドリブルで持ち上がりスペースの回復のための時間を作る。例えそこで奪われたとしてもその裏のスペースはバルザーリがしっかりとカバーに入る。それぞれの特徴を活かし、それぞれの足りないものを補い合う。正に三位一体、理想の関係だった。

 

  やがてコンテ政権が終わり、2014-15シーズンからは新たにマッシミリアーノ・アッレグリが監督として就任した。彼はコンテの[3-5-2]システムを踏襲しつつも徐々に自らの色を出し基本システムを[4-3-1-2]システムへと移行させたが、それでも対戦相手によってはBBCを用いた3バックを採用するなど柔軟な采配を披露し、コンテの後を上手く引き継ぐことに成功した。

 

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  また、4バック時も右サイドバックバルザーリを起用したりとアッレグリ政権下でもBBCは色褪せることなく貴重な戦力として在り続けた。

 

  2016-17シーズン、カーディフで行われたレアル・マドリーとのUEFAチャンピオンズリーグ決勝では“BBC対決”と題され、最強の矛BBCガレス・ベイルカリム・ベンゼマクリスティアーノ・ロナウド)に最強の盾BBCがどう立ち向かうのかに注目が集まった。(結果は1-4で敗北)

 

  そして2017-18シーズン開幕を控えた夏、事件は起こった。

 

  ボヌッチミラン移籍、つまりBBCの解体だ。

 

  この夏、クラブはブレーズ・マテュイディドウグラス・コスタなどの実力者を獲得しビッグイアーに照準を合わせていた。また、偉大なるカピターノ、ジジ・ブッフォンのラストシーズンであるとも言われており、彼の最後を花道で飾ってあげたいというティフォージの願いも込められた大切なシーズンだった。

 

  そんな中で突然起きた裏切りにも近い移籍劇。この出来事に多くのユベンティーニが肩を落とした。

 

  実際ボヌッチの抜けた穴は強がりで誤魔化せるほど小さくなく、最終ラインからのビルドアップの質は明らかに低下した。このシーズンはメディ・ベナティアやダニエレ・ルガーニの台頭でなんとか乗り切ってはいたが、欧州の舞台で格上と対戦するときなどにはやはり彼の不在を嘆く者もいた。

 

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  そしてもう一つ。バルザーリの加齢による衰退だ。

 

  ディフェンスの要として長年チームを支えてきたバルザーリだったが、今やもう37歳。低下してしまった運動量や機動力はなんとかその豊富な経験値によってカバーしてはいるが、90分間をフルで戦えるほどのコンディションになく主に試合終盤に投入され守備を固めるクローザーとしての役回りが増えてきた。

 

  それでも要所では「さすが」と思わせる素晴らしい守備を見せたりと未だアッレグリにとって重要な選手の1人として数えられている。

 

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  この夏、クラブが2018年の夏で契約が満了となるキエッリーニと共に契約延長を発表したことも彼への信頼の表れだろう。前者は2020年まで、後者は2019年までの新契約にサインし新たなシーズンを迎える覚悟を決めた。

 

  そしてクラブはもう一つの契約をある選手と結んだ。

 

  そう、ボヌッチだ。

 

  前年ライバルクラブであるミランに移籍し、「裏切り者」のレッテルを貼られた彼を再び買い戻したのだ。

 

  当初は驚きの電撃復帰に困惑するティフォージも多かったが、彼の足下の技術は確かにチームに不足していたものであり、キエッリーニバルザーリと長年コンビを組んだ彼なら適応するのにもそう時間はかからないという判断だろう。

 

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  「ここに戻ってくることができて嬉しい。以前からのチームメイトや新しい仲間たちと共に新たな冒険に臨めることに興奮しているよ」

 

  この若干の図々しさも彼らしいといえば彼らしい。何はともあれ間違いなくこの補強はユベントスがビッグイアーを狙う上で大きな戦力アップとなるはずだ。

 

  1年の時を経てこれで再びユベントスの象徴でもあったBBCが揃うこととなった。

 

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  しかし、これが恐らく彼ら3人が揃う最後のシーズンとなるだろう。

 

  バルザーリが延長した契約は1年間。そもそも昨シーズンでの引退もにわかに囁かれていたほどであり、彼の年齢も考慮すればそう考えるのが妥当だ。


  今シーズンの基本システムは恐らく[4-3-3]、もしくは[4-2-3-1]。つまり4バックだ。このシステムで起用される2枚のセンターバックは恐らくキエッリーニボヌッチがファーストチョイスとなるだろう。

 

  BBC3人が揃ってピッチに立つ姿があと何回見れるかはわからない。控えにはベナティアやルガーニら頼もしい後輩も育っている。

 

  それでもやはり長年ユベントスというクラブに魅せられてきた1人のファンとしては彼ら3人が同時にピッチに立つ姿をあと少しでいいから見てみたい。途中出場でも構わない。7連覇という偉業の礎を築いた彼らの姿をあと少しだけ。

 

  ふとボヌッチミランへと旅立ったときのキエッリーニの言葉が蘇る。

 

  「全てのものはいつか終わりを迎えるもの。もちろん僕は引退するまで3人で守備をやっていくつもりだった。だけど、どんなことでもそのうち慣れるものさ。僕やバルザーリブッフォンだってその内は引退するんだからね」

 

  そう、例えどんなに立派に育った大樹でもやがては枯れ朽ちていくように、物事には必ず終わりがやってくる。それは彼らとて例外ではないのだ。

 

  バルザーリが、そしてBBCが紡いだ物語も遂に最終章を迎えた。彼らがこれから描くその物語の1ページ1ページをしっかりと脳裏に焼き付けながらこの1年を共に歩んでいきたい。

 

  Fino alla fine、最後までしっかりと。

 

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コラム : 去りゆくバンディエラへ愛を込めて、ユヴェントスの象徴クラウディオ・マルキージオとの別れ

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  「出会いの数だけ別れがある」

 

  これは例え天地がひっくり返ったとしても覆ることのない世の道理だ。

 

  2018-19シーズンを控えたこの夏、ユベントスフットボール界のアイコン、クリスティアーノ・ロナウドを筆頭に多くのスター選手を獲得した。

 

  しかし、誰かが来れば誰かが去っていくのが現代のフットボールの世界というもの。例えどれだけファンに愛されていた選手であろうが、どれだけクラブのために長年尽くした選手であろうがそれは例外ではない。

 

  ジャンルイジ・ブッフォンステファン・リヒトシュタイナー

 

  現在のユベントスの誇るセリエA7連覇という偉業。この始まりを築いた彼らは愛するクラブとの別れを惜しみながらも新たな挑戦のためにトリノの街を去っていった。

 

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  そしてセリエA開幕を目前に控えた8月17日、プリンチピーノ(“小さな王子“の意)の愛称で親しまれたユベントスバンディエラクラウディオ・マルキージオもまた25年間というとてつもなく長い時間を過ごしたクラブを去る決意を固めた。

 

  「ぼくはフットボーラーとしての人生をこの縦縞のユニフォームに捧げてきた。このユニフォームが何よりも大好きだ。このチームが優勝し続けることを信じている。いつまでも」

 

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  涙が止まらなかった。

 

  ユベントスで育ち、ユベントスのために全てを捧げた彼の退団を未だに受け入れたくない自分がいた。

 

  2015-16シーズンのパレルモ戦で負った左膝前十字靭帯の大怪我、あれが全てだったのかもしれない。

 

  本来のポジションから1列下げ、名手アンドレア・ピルロの後を引き継ぎレジスタとしてチームを牽引していくと思われた矢先の大怪我。復帰には半年近くの時間を要した。

 

  復帰後もコンディションは中々上がらず翌年には同ポジションにミラレム・ピアニッチ、その翌年にはロドリゴ・ベンタンクールの加入によってチーム内の序列はどんどん下がっていった。

 

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  それでも彼は腐らなかった。

 

  トレーニングには常に全力で励み、限られた出場機会でも鮮やかなロングフィードを見せたりと技術の高さをアピールし続けた。

 

  それだけでなくメンタル面でも彼はチームを支えてくれた。

 

  印象的だったのは昨季のUEFAチャンピオンズリーグ・準々決勝1st leg・レアルマドリー戦の後。ホームで0-3の敗北に加え、エースのパウロ・ディバラが退場処分によって2nd leg出場停止となったあの試合の後のことだ。

 

  絶望的な状況で2nd legを控えたユベントス。多くのメディアからも「逆転は不可能」と言われファンの間でも諦めムードが蔓延していた中でマルキージオは語った。

 

  「非常に厳しい状況だがチャレンジするために全てを出し尽くす。何故ならぼくらのメンバーに『もう終わった』と考えている者はいないからだ」

 

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  正にユベントスのスローガンでもある「Fino Alla Fine(最後まで)」を体現した言葉だった。

 

  例えどんなに最悪な状況でも自分よりもチームのことを最優先に考える。選手として、そして1人の人間として模範となる男だった。

 

  今までも何度も移籍の噂はあったが、彼はいつも笑ってそれを一蹴しファンを安心させてきた。

 

  「Sometimes, no words needed.(時には言葉は必要ないだろ)」

 

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  その一言と共に胸に輝くユベントスのエンブレムを叩く写真を載せた彼の投稿を見たときは心にグッとくるものがあった。

 

  ヴィノーヴォの練習場で現地のユベンティーニがフロント陣に向けて「マルキージオに触るな。キミはおれたちと一緒にいてくれ」と書かれたバナーを掲げたエピソードからも彼がどれだけファンに愛され、どれだけクラブにとって重要だったかが理解できるだろう。

 

  しかし、ユベントスというクラブで1人のフットボーラーとして生き残っていくには分が悪すぎた。

 

  前述した怪我からのコンディション不良、加齢と出場機会の少なさから生じた走力の低下に伴う守備への貢献度の低下。

 

  緻密な守備組織を構築するマッシミリアーノ・アッレグリ監督にとってこれは彼を試合に出せない充分すぎる理由となってしまった。

 

  今日、ユベントスは悲願となるCL優勝に向けて本気でチームを改革しようとしている。

 

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  マーケティング面を考慮した2017年のクラブエンブレム変更に始まり今夏のロナウド獲得。有望な若手を犠牲にしてまでも行われたワールドクラスの選手の補強。クラブは着々とビッグイアー獲得のための布石を打っている。

 

  ユベントスのことを誰よりも理解しているマルキージオだからこそ、クラブのプロジェクトを理解し、チーム内で序列の落ちてしまった自らの立場を受け入れビアンコネロのユニフォームを脱ぐ決意を固めたのかもしれない。

 

  「感情論だけで物事を語るのは甘い。ただ好きなだけでは勝てない」

 

  たしかにそうかもしれないが、ファンというのは大好きな選手たちと共に多くのものを勝ち取りたいと思うのが普通なのではないだろうか。

 

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  ただ勝つためだけに私情を挟まず上を目指すだけなら、そんなのは機械にでも応援させていればいい。

 

  もちろん今回のユベントスの改革を否定しているわけではない。クラブの出した声明やマルキージオ本人のコメントを見ればこの決断が身を切る思いだったのも伝わってくる。

 

  だからこそ、悲願の欧州制覇の夢を中途半端な形で決して終わらせないでほしい。あと一歩届かなかったビッグイアーをなんとしても獲得してほしい。

 

  それが我々ユベンティーニの願いであり、同時に義務でもあると思っている。

 

  何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない。常にクラブのことを第一に考えて行動していたマルキージオとの別れ。今はとても辛いし、受け入れるのにも多大な時間を要するだろうがこれも噛み砕いて次に進んでいかなくてはならない。

 

  25年間というとてつもない時間をビアンコネロに捧げてくれたバンディエラに極東の地より愛を込めて。

 

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Grazie Claudio, Buona Fortuna.

コラム:人生を変えた指揮官との出会い、フアン・クアドラードの覚醒

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  “ゆるキャラ”という言葉が流行ったのはもう何年か前の話か。「ゆるいマスコットキャラクター」を略した言葉で地域おこしのためなどに名産品などをPRするアレのことだ。

 

  イタリア・セリエAで前人未踏の7連覇を成し遂げた常勝軍団ユベントスにもゆるくてかわいらしい愛されキャラの選手がいる。ロシアW杯で日本の対戦国の中心選手として注目されていたことでもお馴染みのコロンビアの韋駄天フアン・クアドラードだ。

 

  ラテンの陽気なノリと無邪気な笑顔で場の雰囲気を和ませ、時に珍プレーなどを見せることもあるが、胸の内には熱いハートを持っておりハードワークを厭わない。持ち前のスピードと運動量で右サイドを駆け回り、時にはオプションとしてサイドバックまでこなす彼は指揮官のマッシミリアーノ・アッレグリ監督からも確かな信頼を寄せられている。

 

  そんなクアドラードだが、かつてはお世辞にも戦術理解度が高いとは言えず直感だけでプレーするタイプのチームのメカニズムに組み込みづらい選手だった。

 

  若手の発掘に定評のあるウディネーゼにその才能を見出され、レッチェへの武者修行の旅を挟み、イタリアの古豪フィオレンティーナへとレンタル移籍。加入1年目となる12-13シーズンには公式戦40試合に出場し5ゴール7アシストを記録。持ち前の身体能力を活かした勢いのあるプレーで攻撃の中心となりチームの4位フィニッシュに貢献を果たした。

 

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  翌年も43試合で15ゴール11アシストとウインガーとしては充分な結果を残すとフィオレンティーナは買い取りオプションの行使に踏み切ることに。ウディネーゼから完全に保有権を買い取り、晴れてクアドラードは正式にフィオレンティーナの選手となった。

 

  また、同年にはコロンビア代表としてブラジルW杯に参戦。主力として出場するとコロンビア史上初のベスト8に貢献し、世界中のフットボールファンの注目を集めた。

 

  迎える14-15シーズン、W杯での活躍もありバルセロナバイエルン・ミュンヘンなど数多くのビッグクラブへの移籍の噂が取り沙汰されたが最終的にフィオレンティーナ残留で決着。同クラブの一員としてシーズンを戦うことが決定した。

 

  しかし、冬の移籍市場でイングランド・プレミアリーグの強豪チェルシーからオファーを受け移籍金3100万ユーロ(約40億円)+フィオレンティーナへのモハメド・サラー(現リヴァプール)の半年間の無償レンタルという形で契約は成立。慣れ親しんだフィレンツェの街に別れを告げる決意を固めた。

 

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  しかし、万物は流転するというのが人生の常というもの。ここまで順風満帆なキャリアを送ってきたクアドラードだったが、彼のサクセスストーリーもここで暗礁に乗り上げることになる。

 

  当時チェルシーを指揮するジョゼ・モウリーニョ監督の志向するサッカーに適応することが出来ず、やがて構想から外れてしまい満足のいく出場機会を得ることのできないままバルセロナから加入したペドロ・ロドリゲスに押し出される形でわずか半シーズンでユベントスへとレンタルに出されることになってしまった。

 

  当時のクアドラードは自身の調子がいいと判断すれば、ボールを繋げばいい状況でも無理に突破を仕掛ける嫌いがあり、恐らくそれが完璧主義のモウリーニョには快く思われなかったのだろう。

 

  「トーレス以降最低の補強だ」

 

  サポーターの間ではかつてリヴァプールで活躍しチェルシーへと移籍したものの結果を残すことの出来なかった元スペイン代表のフェルナンド・トーレスを引き合いに出してこう罵る者までいた。

 

  15-16シーズン、トップ下タイプの選手を求めていたユベントスは当時シャルケに所属していたユリアン・ドラクスラーを獲得寸前のところで逃していた。そしてそのタイミングでのウインガーであるクアドラードの加入であったためにサポーターの間ではその反動も相まってあまり歓迎ムードではなかった。

 

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  ユベントスを率いるアッレグリは戦術家として知られ、この指揮官の下で戦術理解度の低いクアドラードがチームにフィットできるのかという疑問もたしかにあった。

 

  たしかにチェルシー時代、戦術的な話をしているモウリーニョの側で頭上に?マークが浮かび上がったような表情を浮かべていた彼を知っていればサポーターの間に不安が生じるのも理解はできる。

 

  案の定デビューシーズン当初は個人でのプレーに走りがちで、守備にも難があった。しかし、そんな彼にでさえ自身のメカニズムを落としこんでしまうのがアッレグリの名将たる所以だ。あのモウリーニョですらお手上げだったクアドラードには試合を重ねる毎に守備意識が芽生え始め、周囲との連携も徐々に構築されていった。

 

  サイドバックステファン・リヒトシュタイナーの上がるスペースを生み出すために内に絞ったり、パウロ・ディバラが右に流れた際にはトップ下の位置まで進出したりと、かつてのスピードを頼りに強引に仕掛けるだけの凡庸なイメージは徐々に払拭されていった。

 

  同シーズン、最も印象的なプレーを挙げるとすればUEFAチャンピオンズリーグ・決勝トーナメント・ラウンド16のバイエルン・ミュンヘン戦のゴールだろうか。

 

  自陣でボールを奪ったサミ・ケディラのパスを受けたアルバロ・モラタが凄まじいドリブルでファイナルサードまで駆け上がってラストパスを送り、これを受けたクアドラードがシュートブロックに飛び込んできたバイエルンの主将フィリップ・ラームを嘲笑うかのように冷静にキックフェイントでかわし、マヌエル・ノイアーの守るゴールの右隅に突き刺したあのシーンだ。

 

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  「ユベントスと共に再びフットボールの世界で主役になれることをとても幸せに思うよ。ここで僕は満足している。セリエAでは上手くやれていると思うし、本当に快適に感じているよ」

  アッレグリの指導の下、柔軟性を身につけたクアドラードは世界でも屈指のサイドアタッカーへと変貌を遂げた。

 

  1年間のレンタル期間を終えて彼はチェルシーに復帰。同クラブの新監督であるアントニオ・コンテユベントス時代からクアドラードの獲得を望んでいたために再びイングランドの地でリベンジを果たすものと見られていた。

 

  しかし、本人はユベントスへの復帰を懇願。彼の母親がロンドンでの生活に適応できず体調が優れていなかったこともあり、チェルシー側は彼の希望を受け入らざるを得なかった。

 

  そうして夏の移籍市場最終日に買い取りオプション付きの3年間のレンタルでユベントスへの再加入が決定した。

 

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  「自分の家に再び戻り、仲間たちと全てを求めて突き進むことが出来ることを神に感謝している」

 

  自身のSNSでそう語ったクアドラードは再びビアンコネロのユニフォームに身を纏うこととなった。

 

  また、16-17シーズンのCL決勝レアル・マドリー戦を前にユベントスは買い取りオプションを行使。2020年までの3年契約を結んだ。

 

  難しいゴールは決めるのに簡単なシュートを外すのはご愛嬌。サイドを物凄いスピードで駆け上がり逆サイドでプレーするマリオ・マンジュキッチのゴールを演出するホットラインも円熟味を帯びてきた。

 

  今季から加入したフットボール界のアイコン、クリスティアーノ・ロナウドに自身の背番号である7番を快く譲渡したエピソードも記憶に新しい。

 

  一部報道によればアッレグリの残留が決定した際には本人も新契約にサインする準備が出来ているとのことで、指揮官との信頼関係も抜群だ。

 

  今ではユベンティーニの間でも毎年の楽しみの1つとなりつつある、タイトル獲得が決定した瞬間にアッレグリに飛びかかりバニシングスプレーで頭部を真っ白に染め上げる恒例行事を叶うことなら向こう数年間見続けていきたいものである。

 

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  迎える新シーズン、チームは前線にロナウドを加えより強力なスカッドが出来上がりつつある。無論ポジション争いも熾烈を極めることになるだろう。その中で昨季はサイドバックなどにもトライしたクアドラードがどんなプレーを見せてくれるのか楽しみで仕方がない。

コラム: 偉大なるカンピオーネへの道、イタリアの至宝ベルナルデスキの挑戦

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  “絶えず変化を求める気持ちと不満こそが、進歩するために最初に必要となるものである”

 

  かの有名な発明家、トーマス・エジソンはこんな言葉を残した。成長するためには常に変化を求め続け、安定を求めず挑戦をすることが成功の鍵であると。

 

  2017年夏、フィオレンティーナの10番を背負う若者は慣れ親しんだフィレンツェの街に別れを告げ、イタリア北部の都市トリノへとやってきた。

 

  前所属のクラブではエースとして期待され将来を渇望されていたベルナルデスキだったが現状に満足せず、さらなる高みを目指すためイタリア王ユベントスへの移籍を決意。その端正な顔立ちからは想像のつかない卓越したドリブルスキルと鋭いカットインからの強烈なシュートでゴールネットを揺らす姿はかつて自身と同じフィレンツェの街からやってきたクラブのレジェンド、ロベルト・バッジョを彷彿とさせる。

 

  イタリア・トスカーナ州の人口約6万人の街カッラーラで生まれ育ったベルナルデスキは6歳の頃に地元のサッカークラブでキャリアをスタートさせると、在籍当初からクラブにその才能を見出され、2、3歳上のチームメイトに混じってボールを蹴っていた。元イタリア代表のヴィンチェンツォ・モンテッラのように、ゴール後に両手を広げて飛行機を模倣したようなパフォーマンスをすることから当時は“モンテッリーノ”(小さなモンテッラ)という愛称で呼ばれていた。

 

  2003年、ベルナルデスキは10歳の頃にセリエAのクラブ・フィオレンティーナと運命の出会いをし10年間をこのクラブのユースチームで過ごすことになる。すると、各年代のカテゴリでは常に中心選手として存在感を発揮し、エースナンバーである10番を背負い順風満帆なキャリアを送っていた。

 

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  いつしか彼の下には世界屈指のビッグクラブであるマンチェスター・ユナイテッドからもラブコールが届くほどにまで成長。しかし、「興味が持てなかった」とそのオファーを一蹴。自らを育ててくれたクラブに忠誠を誓い残留を決意した。

 

  その後、プリマヴェーラ(18~19歳のカテゴリ)ではキャプテンとしてチームを牽引。その活躍が認められ、2013-14シーズンにはいよいよトップチームに召集された。しかし、出場機会には恵まれず当時セリエBに所属していたクロトーネに共同保有のレンタルという形で武者修行の旅に出ることになる。

 

  「できるだけ早くフィレンツェに戻って、フィオレンティーナの一員としてセリエAで戦いたい」

移籍後、そう語った彼は同シーズン39試合に出場し12ゴール7アシストの活躍を見せると、公言通りフィオレンティーナに呼び戻されクラブは保有権を全て獲得することになった。そして、同年のキャンプで当時の指揮官であったモンテッラ監督へのアピールに成功。トップチームへの昇格を勝ち取った。

 

  若干20歳にしてセリエAUEFAヨーロッパリーグにもデビューするなどトントン拍子に事が運んでいたベルナルデスキだったが、人生とは良い時が続けば必ず悪い時もやってくるもの。同年11月に足首を骨折してしまいシーズンのほとんどを棒に振る大怪我を負ってしまう。

 

  それでも翌年、クラブはベルナルデスキとの契約延長を発表。さらにユース時代に着けていた背番号10を着けることも公表されると、リーグ開幕前に行われたインターナショナル・チャンピオンズカップではバルセロナ相手に2ゴールを記録。2-1でのフィオレンティーナの勝利に貢献し“バッジョの再来”とまで言われるほどに周囲を沸かせてみせた。

 

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  トップチーム3年目となる2016-17シーズンにはリーグ戦32試合に出場し自身初のリーグ戦2桁得点となる11ゴールを記録。バルセロナバイエルン・ミュンヘンなど欧州のメガクラブからも一目置かれる存在へと成長を遂げていった。

 

  そして当時23歳だったベルナルデスキは自身の今後のキャリアを考えクラブの契約延長の打診を断り、ある覚悟を決める。

 

  最愛のクラブを離れ、同国のライバルでもあるユベントスへと移籍する覚悟を。

 

  「12年もの間、僕を成長させ1人前の男にしてくれたフィオレンティーナに感謝したい。僕に関わってくれた全ての人達にもね。みんなに『ありがとう』を伝えたい。彼らのことは決して忘れないよ」

 

  「今、新たな旅へ臨むときが来た。なんて言ったらいいんだろう……これ以上のスタートはなかった。ユニフォームや名誉、僕に与えられたもののために、僕が出来る全てを捧げたい」

 

  ベルナルデスキは自らを育ててくれたクラブとの別れを惜しみながらも、フットボーラーとしてさらなる高みを目指すために新たな扉を開いた。

 

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  簡単な決断ではなかったはずだ。愛するクラブを離れ出場機会も保証されていないチームへと活躍の場を移すというのは。フィオレンティーナで“王様”としてチームの中心となってプレーする選択肢もあったはずだ。

 

  しかし、彼は安定など求めてはいなかった。そこにあったのは純粋に「サッカーが上手くなりたい」という向上心だけだった。

  ユベントスではかつてのバッジョとは違い10番の着用こそ見送られたが、移籍金の4000万ユーロ(約52億円)という金額を見ればその期待の表れは明らかだろう。

 

  ベルナルデスキが代わりに背負う33番はキリストの没年齢を示す数字であり、信心深い彼にとってはとても意味のある番号。しかし、彼は背番号の理由を説明をした後でこう付け加えている。

 

  「“ユベントスの10番”の重みは特別。だが、10番こそが自分の肌に合った番号だと思っている。今は33番を背負うがいずれは僕が10番に相応しい選手だと証明したい」

 

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  そう。彼はこの背番号の重みを理解しながらも、いずれはこの伝統ある栄光の番号を背負う覚悟ができているのだ。今でこそ同胞のパウロ・ディバラがこの番号を身につけてはいるが、次の10番の継承者は彼とみて間違いないかもしれない。そう思わせるだけの覚悟がその言葉から感じ取れた。

 

  加入初年度となる2017-18シーズン、ユベントスの指揮官マッシミリアーノ・アッレグリ監督は新加入選手を時間をかけてチームに馴染ませていく傾向があり、ベルナルデスキはシーズン当初からベンチスタートが続き途中出場での起用が多かった。しかし、普通の同年代の若者であれば不貞腐れてもおかしくない待遇であったにも関わらず、やはり彼は一味違った。

 

  「心配はしていないよ。今は見習い期間のようなものだからね。最初のステップはユーベで僕の存在価値を証明すること。これはディバラでも経験したことさ。僕は犠牲心やハングリー精神、クオリティーを持ち合わせているよ」

 

  憎らしいほどに純粋で落ち着いた言葉だった。

 

  昨シーズンは同ポジションにフアン・クアドラードドウグラス・コスタなどワールドクラスの選手がいるため、スーパーサブ的な立ち位置ではあったが出場した試合ではしっかり結果を残しており、途中出場での起用が多い中で22試合4ゴール6アシストという記録は大したものだ。

 

  迎える新シーズン、チームは新たにフットボール界のスーパースター、クリスティアーノ・ロナウドを前線に加え悲願である欧州制覇に向けて動き出す。ベルナルデスキにとってはよりポジション争いが熾烈になり勝負の年となるかもしれない。しかし、彼の持つ向上心があれば心配はいらないだろう。なにより彼は常にチャレンジャーなのだから。

 

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  今はまだ大きな可能性を秘めたダイヤの原石に過ぎないが、向こう数年間でさらなる飛躍を遂げビアンコネロの10番を背負う姿を筆者は想像せずにはいられない。

  ベルナルデスキの挑戦はまだまだ始まったばかりだ。

コラム : 悪童から真の男へ、厄介者扱いされ続けたスーパーマリオの生涯

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  かつて悪童と呼ばれたその男はもういない。驚異的な運動量と強靭なフィジカルを活かしたプレーでイタリア王ユベントスの攻撃を牽引するクロアチアの大砲は、誰よりもチームのために汗を掻き、クラブのモットーである“Fino alla fine”(“最後まで”の意)の精神を体現している。

 

  クロアチア東部の都市スラヴォンスキ・ブロドに生を受けたマンジュキッチは、幼少時代をドイツ・シュツットガルト近郊の町・ディツィンゲンで過ごした。フットボールとの出会いもこの頃で、10歳までこの町のクラブでプレーした後、母国クロアチアに戻り19歳でマルソニアというクラブでプロデビューを飾ることになる。

 

  翌年クロアチア1部・NKザグレブに移籍し2シーズンを過ごした後、国内の強豪ディナモ・ザグレブへとステップアップ。移籍初年度から29試合に出場し12ゴール11アシストを記録。また、シーズンを通してイエローカードを8枚も受けるなど文字通り大暴れしてみせた。

 

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  ディナモ・ザグレブ2年目となる2008-09シーズンにはリーグ戦28試合で16ゴール11アシストと圧巻のパフォーマンスを披露。その長身を生かした力強いプレーでストライカーとして覚醒しリーグ得点王にも輝き欧州の有力クラブも無視できない存在となっていった。

 

  順風満帆なキャリアを過ごしていたマンジュキッチだったが2009-10シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ予選・RBザルツブルク戦で受けたレッドカードや、0-2で敗れたUEFAヨーロッパリーグアンデルレヒト戦での低調なパフォーマンスがクラブの怒りを買い10万ユーロ(約1300万円)の罰金を課されるなど時々クラブと衝突起こすこともあった。

 

  翌年、ブンデスリーガヴォルフスブルクに移籍。シーズン途中から就任した“鬼軍曹”フェリックス・マガト監督の下、軍隊式のトレーニングを経験することになる。恐らく現在所属するユベントスでも豊富な運動量を誇っているのはこの頃の恩恵だろう。

 

  ヴォルフスブルク2年目には32試合で12ゴール10アシストをマーク。好成績を残すのだが、シーズンの初めにマガト監督の戦術を無視したとしてここでも1万ユーロ(約130万円)の罰金を課せられている。

 

  テクニックもありスタミナもあり選手としては素晴らしいのだが、なぜかいつも監督やクラブと衝突をしてしまう嫌いがあるのがたまに傷といったところだ。

 

  そんなマンジュキッチだったが2012-13シーズン、満を持してドイツ王バイエルン・ミュンヘンに加入。ユップ・ハインケス監督の下でレギュラーを掴みとり、3冠(ブンデスリーガDFBポカール、CL)を達成。迎える翌シーズンも稀代の戦術家ジョゼップ・グアルディオラ監督の下で2冠(ブンデスリーガDFBポカール)に貢献。一気にスターダムを駆け上がった。

 

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  しかし、喜びも束の間。平穏は突然にして崩れ去った。

 

  グアルディオラ監督との確執だ。

 

  同監督の思い描くプレービジョンに合わないという理由で徐々に出場機会が失われていくと、遂には優勝のかかったDFBポカール決勝・ボルシア・ドルトムント戦では招集外という扱いまで受けてしまう。

 

  「がっかりしたよ。彼は俺に敬意を持って接してくれなかったんだ。プロフェッショナルとして、誰かからネガティブなエネルギーを感じたら俺はその人を遠ざけるようにしている」

 

  「2年間バイエルンに全てを捧げてきた。俺はあのような待遇に値しなかったと思う。適応するために努力もしたけど、成功するためには両者の努力が必要だ。俺の未来はここには無いと気付いたよ」

 

  そう語ったマンジュキッチはシーズン終了後、ロベルト・レヴァンドフスキの加入に押し出される形でバイエルンを去っていった。

 

  ドイツの地を後にした彼が新天地に選んだのはリーガ2強時代に終止符を打ったスペインの雄アトレティコ・マドリーだった。本人がディエゴ・シメオネ監督の情熱的な指導方法に関心を持っていたこともありこの移籍が実現した。

 

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  しかし、ここでも監督との確執が噂され僅か1年でクラブを去ることに。かつて所属したディナモ・ザグレブ以降2年以内にはクラブを変えていることから“渡り鳥”と呼ばれるまでになってしまっていた。

 

  そんな時に出会ったのが現在所属するユベントス。今ではここが彼の新たな“家”となっている。

 

  「彼は我々の望んでいた素晴らしい選手だ。彼がここにいることが非常に嬉しい」

 

  そう話したのは同クラブを率いるマッシミリアーノ・アッレグリ監督。当時10番を背負っていたカルロス・テベスの退団もあり、この大型ストライカーの加入を喜んだ。

 

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  ビアンコネリの2トップの一角としてプレーするマンジュキッチはハードワークを厭わず、その力強いプレーはクラブのレジェンド、ダビド・トレゼゲを彷彿とさせ一気にサポーターの心を掴んだ。

 

  ユベントス2年目となる昨々季途中にはアッレグリ監督が[4-2-3-1]システムを導入。このシステムでマンジュキッチは主戦場であったセンターフォワードのポジションをゴンサロ・イグアインに譲り、まさかの左サイドのウイングポジションで起用されることになった。

 

  この斬新な采配が大当たり。敵SBとのマッチアップにことごとく勝利し、ロングボールの収めどころとして機能するだけでなく、サイドを縦横無尽に走りまわり守備にも奔走。時にはバックラインの高さまで下がり味方DF陣を助けている。

 

  このストライカーポジションからウイングへのコンバートに対して「ワイドの仕事を楽しんでいるよ。ワイドの位置からでも相手ゴールに迫ることは可能だし、ストライカーだって守備にも注意を払わなければいけない」とコメント。指揮官の要求を快く受け入れた。

 

  「アッレグリは俺にとって欧州でも最高の監督の1人。彼と一緒に仕事ができて幸せだ」

 

  かつて悪童と呼ばれ、所属するチームの数々で指揮官と衝突を繰り返してきた彼の姿はもうここにはない。

 

  ユベントスで3年間を過ごした彼のクラブへの忠誠心には目を見張るものがあり、誰よりもチームを思って走っている。

 

  2016-17シーズンのCLファイナル・レアルマドリー戦でマンジュキッチが鮮やかなオーバーヘッドで同点ゴールを決めたシーンを思い出してみてほしい。

 

  胸に輝くエンブレムを何度も叩き「俺たちはユベントスだ」と言わんばかりの雄叫びをあげたあのシーンを。あのシーンにこそ、マンジュキッチという男の全てが詰まっていたように思う。

 

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(image@twitter)

 

  そしていま、定住する地を選ばない渡り鳥が自分の“家”を見つけ4年目のシーズンを迎えようとしている。

 

  チームのためにひた走るこの功労者が、来季も我々と共に冒険を続けくれることを筆者は1人のサポーターとしてただただ願うばかりである。

  無論、彼の他クラブへの移籍は「No good」だ。